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ラブコメ作品をどうやって長期化させるか問題

  • 週刊連載の長編漫画は難しい

 漫画の長期連載、特に週刊誌連載は(雑誌の方針によって程度の差はあれど)人気があれば長期にわたって続き、なければ短期で終わる。それは著者本人も物語の長さの想定が困難であることを意味する。

 今描いている話があとどれだけ続くのか分からない以上、漫画は基本的に始めから終わりまでを全て考えた上で描かれることはない。かつ毎週コンスタントに描き続けなければならないために、連載中に考える余裕も十分にはない。
 そのため週刊漫画誌の長期連載においては、完結して改めて振り返ると回収されず残った伏線があったり、過去の描写や設定と現在のそれに矛盾が出たりするのが、むしろ普通だ。

 毎週毎週の面白さとストーリー全体の満足度(や整合性)を両立させるのは困難であるということだ。そんな環境で数えきれないほどの名作が生まれ、人々に影響を与えているのは、改めて考えるとものすごいことである。


 上記は全ての長期連載(特に週刊連載)漫画について言えることだが、そのなかでもラブコメと呼ばれるジャンルでは特に長期連載の難しさを感じることが多い。

 ここでは一旦「ラブコメ」というジャンルの定義をしないが、それでも「ラブコメ」作品がそれ以外の長期連載と比べて明らかに短いことはご理解いただけると思う。
 例えば今まさに週刊少年ジャンプで完結を間近にしている『ニセコイ』は同誌のラブコメ作品で歴代最長だが、それでも既刊24巻。同誌の他ジャンルの人気漫画と比べれば明らかに短いことが分かる。

 短い。確かに短い。にも関わらずラブコメ作品は中だるみやマンネリを叫ばれることが多い。なぜか?

 冒頭に書いた通り、週刊連載の漫画は著者の想定外に長期化する。
 それに対し一般的な漫画であれば想定外に長期化したとしても、「物語の終着点」を「開始時点で明らかにされている物語の終着点」からシフトすることができる。またその手前に途中目標を設定することで、「開始時点で明らかにされている物語の終着点」を(読者の感覚的に)より遠くさせられる。

 例えば高校へ入学した主人公が野球部に入り、甲子園を目指す話があるとする。この場合、途中で人気が出て想定外に長期化したとしても、甲子園に出場して当初の目標を達成した後、今度はプロ野球選手を目指すなど次の目標を立てられる。また甲子園出場を目指す過程で、因縁のライバル校ができ、そこを倒すことを途中目標に設定することもできる。

 ところが同じことをラブコメでやるのは非常に難しい。

 前提としてラブコメでは「開始時点で明らかにされている物語の終着点」が「主人公AとヒロインBが付き合うこと」である。そしてこれが、最終的な物語の終着点でもあるケースが圧倒的に多い。

 それは次の目標、例えば「結婚」が読者にとってあまり身近に感じられないことで避けられているのかもしれない。またドラマの作りにくさもあって、恋愛を扱ったものは多いが結婚となると極端に少なくなるというのは、漫画に限らず小説や映画においても同じことが言える。

 では「結婚」以外で「主人公AとヒロインBが付き合うこと」の次の目標を設定できないか? お付き合いするなかで互いの関係を強めるというのは、いかにもありそうな、実際あることだ。結婚までは到達しなくとも、その手前の途中目標は設定できるはずだ。

 結論から言うと、あくまでぼくの考えだが、ぼくの考えでは、それをやると恋愛漫画であってラブコメではなくなる。

 先ほど後回しにしたラブコメの定義の話に移る。ラブコメとは「魅力的なヒロインと仲良くなる過程や生活を共にする日常」というドリーミーなフィクションを提供するものだからだ。個人的な定義かもしれないが、なんとなくある程度はご理解いただけるものと思っている。
 要するに「主人公AとヒロインBが付き合うこと」の過程にこそラブコメの醍醐味があり、次の目標設定は困難である。


 ではもう一つのやり方。「主人公AとヒロインBが付き合うこと」の手前に途中目標を設定するのはどうか?
 付き合うことの手前。つまり互いをよく知ることや仲良くなること。ステップを経てから関係ができるのは自然なことで、実際これはほとんどのラブコメでやっている。
 この手法の問題としては、これだけでは物語をそこまで長期化できないことだ。
 ゆっくりと少しずつ関係を良くしていく漫画を見たい人は少なくないはずだが、ゆっくりと少しずつ関係を良くしていく週刊連載の漫画は、読者の退屈やマンネリといった懸念を抱える。どこかしらかで急展開がほしいところだ。

 ラブコメの急展開はヒロインBとは別のヒロインCの登場によって作られる。主人公AとヒロインBが途中目標のステップを経て、ゆっくりと少しずつ関係を良くした後、急に登場したヒロインCが主人公Aと接近することで、主人公AがヒロインBとヒロインCの間で揺れる。そのドリーミーなフィクションな日常こそラブコメの醍醐味であり、そこに恋愛漫画とラブコメの差があるとも言える、はずだ。

 ここに至り「開始時点で明らかにされている物語の終着点」は「主人公AとヒロインBが付き合うこと」から、「主人公AがヒロインCではなくヒロインBと付き合うこと」に変わる。それによって「主人公AがヒロインCを選ばないこと(もしくはヒロインCが主人公Aから離れること)」という途中目標ができている。

 しかしこの途中目標は早々に達成されず、むしろ物語の終着点にかなり近いところでようやく達成される。
 その理由は「主人公AがヒロインBとヒロインCの間で揺れる。そのドリーミーなフィクションな日常こそラブコメの醍醐味」だからだ。早々にヒロインCが離脱してはフィクションな日常を楽しむ読者のテンションが下がる。
 また「主人公AがヒロインCを選ばないこと(もしくはヒロインCが主人公Aから離れること)」を達成した後に、「主人公AとヒロインBが付き合うこと」の達成に時間がかかっては、それこそ読者が退屈やマンネリを感じてしまうために、途中目標達成後の物語をあまり長くすることができない。

 こうしてラブコメは、「魅力的なヒロインと仲良くなる過程」や「好意を抱いて近づいてくる複数のヒロインたちとの日常」といった、読者の退屈やマンネリと隣り合わせの醍醐味を抱えながら、続いていく。

 要するにラブコメの長期連載が困難な理由は、その面白さが長期連載と相性が悪いことにある、と考えている。


  • ブコメの長期連載を成功させたい

 ジャンルというのは伝統的なフォーマットであり、常に「今の」感覚で何かしらのアレンジを加えながら枠組みの中で新しい作品が生まれている。ラブコメにおいても様々な形で挑戦が見られる。

 例えばBやCよりはAに好意を抱いていないヒロインDを登場させること。これにより「好意を抱いて近づいてくる複数のヒロインたちとの日常」の醍醐味を増しつつ、ラブコメ的重要度の低いヒロインDを選ばない途中目標を、物語の終着点よりもかなり手前に持ってこれる(もしくは省略することもできる)。

 新規キャラクターの追加は読者の目を引き展開にメリハリがつくために、ジャンル限らず長期化に際し多くの作品で取られる手法だが、「好意を抱いて近づいてくる複数のヒロインたちとの日常」という醍醐味のラブコメとは相性がいい。

 しかしこれもラブコメと長期化の相性の悪さに対する根本的な解決にはならない。


  • 事例研究:ラブコメの長期連載を成功させるために

 ラブコメの面白さは長期連載と相性が悪い。であれば、他ジャンルの要素を組み合わせることでその問題は解決できないか?



 主人公AとヒロインBが一緒に何かに取り組む中で関係を強める。その「何か」を中心に置くことで、恋愛以外の観点で「主人公AとヒロインBが付き合うこと」の次の目標が設定できたり、また「主人公AとヒロインBが付き合うこと」までの途中目標が設定できたりする。


 週刊少年サンデーで連載していた『神のみぞ知るセカイ』は、恋愛ゲーム要素を採り入れ、多数のヒロインのそれぞれと付き合うことを途中目標に設定したショートエピソードを連続した。さらに続けて恋愛とは別の目標を設定した物語を長期展開させ、ラブコメとして完結させた。



 月刊ビッグガンガン連載中の『ハイスコアガール』はゲーム好きの主人公とゲーム好きのヒロインのラブコメで、ゲームが両者を結びつけている。ゲームで強くなることがヒロインとの関係を強めることにつながっているために、ゲームに関する物語展開が続いても恋愛的な進展がないことの間延びを感じさせない。



 週刊少年ジャンプで連載していた『To LOVEる』は「主人公AとヒロインBが付き合うこと」が「開始時点で明らかにされている物語の終着点」でない例だ。
 主人公には気になる特定のヒロインがいるが、彼女との恋愛的な進展はこの漫画において重要視されておらず、むしろ「好意を抱いて近づいてくる複数のヒロインたちとの日常」という醍醐味が続くことがこの漫画の目標地点でもあるように見える。永遠の日常。終わらない日常のラブコメ版。
 実質的な続編である『To LOVEる ダークネス』ではヒロインの1人を主役ポジションに置くことで、主人公ヒロイン間の恋愛関係以外のメイン要素を作っている。それも彼女の目的が主人公のハーレムを作ることであるために、「終わらない日常のラブコメ版」を続けながらも、主人公ヒロイン間の恋愛関係以外の物語目標を進行させている。



 週刊少年サンデー連載中の『初恋ゾンビ』は、ぼくが今一番気になっているラブコメ漫画だが、これは主人公とヒロインが一緒に他人の恋愛上のトラブルを解決することで互いの関係を強めていく。主人公とヒロインが一緒になって取り組むことがこれまた「恋愛」であるために、2人の恋愛的な進展が分かりやすい。
 また主人公とヒロインの認識に大きな差があり、「主人公AとヒロインBが付き合うこと」の達成が、現段階では困難である(=物語の終着点が遠い)ことが読者にも共有されている。



 週刊少年マガジンで連載していた『スクールランブル』はコメディ要素の方が強いラブコメ。群像劇色が強く、様々なキャラクターの片想いや空回りが中心となっている点で『To LOVEる』と同じく、主人公ヒロイン間の恋愛がメインでない作品だ 。
 群像劇として新規キャラクターを増やすことで回したり、各回で劇画調になったり恋愛色が強くなったりとメリハリをつけることで長期展開させ、毎回が10P前後のショートストーリーで構成されているにも関わらず、全22巻の長期にわたる連載を達成した。



 週刊少年マガジンで連載していた『この彼女はフィクションです。』はヒロインBの設定が面白い。ヒロインBがフィクションの実体化したものであることから、「主人公AとヒロインBが付き合うこと」が困難な到達点であることが読者にも分かる。
 ラブコメの長期連載についてはヒロインC(主人公に選ばれなかった方のヒロイン)の扱いをどうするかという点も大きなポイントになるが、ヒロインBとCの立場が異なることも利用してうまい落としどころにまとめたと思う。全4巻だがもう少し長期化できたはずで、してほしかった。


この彼女はフィクションです。(4) <完> (講談社コミックス)

この彼女はフィクションです。(4) <完> (講談社コミックス)


  • 結び:ラブコメの長期連載を成功させるために

 他ジャンルの要素を組み合わせることでラブコメの長期連載は可能になるが、他ジャンルの要素がメインになりすぎると、今度は「ラブコメと言うよりは~漫画」と捉えられてしまう。スポーツ漫画に多少のラブコメ要素を加えた作品が長期連載になったとして、それはラブコメの長期連載としての成功ではない。

 ラブコメ漫画でありスポーツ漫画でもあるというのはもちろん成立することだが、ラブコメの要素を活かして長期化させることで、より面白くなる例だってあると信じている。と言うか、事例研究で例に挙げた作品は全てそこに該当すると思っている。



 ラブコメの長期連載という困難への挑戦と、そこから生じる新たな可能性を信じたい。

『BE BLUES!』を読んでいない人のための『KICKS』(と桜庭さん)解説

 『HUNTER×HUNTER』が休載決定でもう終わり? いやいや俺たちには桜庭さんがいるだろ!!!


(桜庭さん(表紙))


 とゆーことで週刊少年サンデー絶賛連載中のサッカー漫画『BE BLUES!』に桜庭さんが出てきましたよ。

 現実時間にしてなんと8か月ほどまともな活躍の無かった桜庭さんですが(ベンチにはいた)、ここにきてまさかの途中出場。そのリアルタイムな騒動は、サンデー読者にとって桜庭さん1人が『HUNTER×HUNTER』に匹敵する存在であることを再確認させてくれました。

 さて週刊少年サンデー本誌の展開もさることながら、桜庭さん大好きクラスタにとってもうひとつ朗報があります。テレビドラマ『重版出来』の公式サイトにおいて、『BE BLUES!』の著者・田中モトユキ先生が、作中の雑誌に掲載された作品という設定で『KICKS』という漫画を描いているのです。


www.tbs.co.jp
(上のリンク先が『KICKS』無料公開ページになります)


 これがまるで桜庭さんが主人公のような漫画でものすごいので、タイトル通り『BE BLUES!』を読んでいない人に向けて『KICKS』(と桜庭さん)のすごさを説明します。

  • そもそも『BE BLUES!』とは?

 埼玉の天才少年と呼ばれた一条龍が小学生のときから始まり、日本代表を目指すサッカー漫画。現在は高校編で、ユースのチームではない、公立の強豪校から「上」を目指しています。
 場面場面でキャラクターの活躍にスポットを当てるタイプのスポーツ漫画とは異なり、試合全体が分かるような描写がされている(誰がどこにいて、どうパスがつながったか等)のが特徴。あまりサッカー見ない自分が言っても説得力皆無ですが、リアルなサッカーの試合映像を採り入れた漫画と思います。

 あまりキャラクター色の強い漫画ではありませんが、試合全体を描いている関係で、主人公だけでなくその周りのライバルやチームメイトの活躍もたくさんあり、キャラクター人気も強いです。特に桜庭さん。


  • そもそも桜庭さんとは?

 『BE BLUES!』における龍のライバル役。小学生の頃から龍をライバル視しており、身体能力は低いが技術が半端なく高い。
 特徴としては「パスを出さない」(自分で得点できるandしたいから)、「マークを外す動きをしない」(マークされてても得点できるandしたいから)、「常に尊敬を受けたい」(性格的に褒められることがないand褒められたいから)などなどあります。

 漫画においては(あるいは社会においては)、いくら個人の能力が高くても高圧的で自分勝手な選手は出る杭打たれる宿命にありますが、そんな中で桜庭さんがすごいのは、単行本にして既に10巻以上続いている高校編において、いや1巻初登場の小学生だった頃から比べても、何の「成長」もしていないところです。*1

 性格的にもプレースタイル的にも問題がある桜庭さんは、そのせいで敗北を喫したりチームにトラブルを起こしたりしています。そうして物語は桜庭さんの矯正に動き出し、幾たびと彼にパスが出せれば簡単に解決できる成長のきっかけを作りますが、そのたびに桜庭さんは与えられた模範解答以外の方法でその状況をクリアーしていきます(尊敬しかない)。

 結果的に桜庭さんは、今まである特殊状況下でパスを出すこともありましたが、基本的なプレースタイルと性格は維持したまま現在に至ります。

 働き初めてすっかり丸くなってしまった方にも、あのころの尖っていた自分をもう一度思い出してほしい。そう、桜庭さんの活躍を見ることで……。サンデー読者はいつだってそうやって生きてきました。

  • これまで何が起きていたのか?

 桜庭さん不在期間、サンデーには新編集長が就任。大規模な改革を宣言し、新体制へと移行しました。まずは『だがしかし』がアニメ化で一気に知名度を上げ、新しい連載陣もなかなかに好調です。ベテランの藤田先生・西森先生も久し振りに戻って来て、驚くほどにどんどんおもしろい雑誌になっています。
 ただ、桜庭さんがいなかったんだ………。

 桜庭さん不在期間、『BE BLUES!』では新しく外国人の監督が就任。新体制となったチームは、監督の意向を汲めず戸惑いますが、龍の機転もあって一転。新戦術を軸に大量得点で勝ち進みます。
 そんなとき強敵が立ちはだかり、試合は一進一退の攻防が続きます。その中で体制の変化についていけないでいたエースの活躍や通訳として言葉以上に監督の意向を伝えるマネージャーの成長など、色々な面から試合を見せていました。
 ただ、桜庭さんがいなかったんだ………。


  • 『KICKS』の何がすごいか?

 やっと『KICKS』の話に入れます。『KICKS』の何がすごいかと言うと、これが『BE BLUES!』の龍と桜庭さんのポジションを入れ替えた漫画ということです。それはサッカーのポジションという意味ではなく、漫画における主人公の位置に桜庭さんが置かれているという意味です。

 キャラクターの立ち位置入れ替えという公式同人誌的な遊びは、他の漫画でも単行本のおまけとしてたまに見ますが、桜庭さんが「俺様を尊敬しろ」が口癖なくらい常に尊敬を求めている情報と併せて読むと、この入れ替えが実にぴったりで楽しいのです。

 『KICKS』1P目。左の女子が龍の幼なじみでちょっと男勝りですが龍に対しては献身的で尽くしてくれる胸が大きな現在は高校サッカー部のマネージャーです。言うまでもなく龍のことが好きです。
 右の女子が一度サッカー部へ見学に来て大騒ぎになったほどのハーフ美少女。フィギュアスケート界のホープで、龍のプレーを見てファンに。現在は龍の追っかけ。言うまでもなく龍のことが好きです。

 『KICKS』3P目。黒髪ポニーテールの女子はサッカーとは何の縁もなく生きてきましたが、英語が得意なことから新監督の通訳としてチームに加入。長身でスタイルもよく、凛々しい印象からクラスでも人気で、本人もはじめこそ体育会系なノリを嫌っていましたが、現在は言うまでもなく龍のことが好きになり始めています。

 と、ここまで説明してきたのは『BE BLUES!』の話で、『KICKS』では上に書いた龍の箇所が全て桜庭さんに置き換えられています。

 これを読むと桜庭さんがずっと求めている尊敬や称賛を受けているのが龍で、桜庭さんがたびたび龍に突っかかるのは、龍が桜庭さんの求めているものを持っているからかと推測できます。
 しかし実際、桜庭さんは龍のようには生きられません。『BE BLUES!』と合わせて『KICKS』を読むことで『KICKS』には全く描かれていない、桜庭さんの孤独と哀しさとそれを上回る圧倒的な強さを、浮彫のように感じられるのです。

  • ついでに本誌の展開について

 現在、週刊少年サンデー本誌では、これ以上ないくらいに桜庭さんが称賛を浴びています。ついに時代が桜庭さんに追いつきました。
 『BE BLUES!』という漫画は龍の不屈の精神が周囲に影響を与え、一度挫折した人々を良い方向へ持っていくところがドラマとしての醍醐味ですが、今回は桜庭さんが龍の信念である「決めるべき時に決めてみせる」を実現して見せ、今度は龍に刺激を与える新展開となっています。読もう週刊少年サンデー


*1:念のため補足するとぼくは桜庭さんが成長していないとは思っていません。チームメイトと信頼関係を築くのは確かに成長ではありますが、それはひとつの成長でしかなく、それ以外にも選手として能力を伸ばす道はいくらでもあります。それなのに協調性のみを指して「成長」しろと矯正する社会を皮肉った、また道標なき世の中において与えられた道を進むのではなく、自分の頭で考えるということを教えてくれるのが桜庭さんというキャラクターという見解です。ですので正確には、桜庭さんは成長はしているが、社会に迎合した「成長」はしていないというスタンスです。このまま続けてほしいところです。

今週の黒ロン:『小説の神様』

今週の黒ロン

 アニメ制作を主題にしたテレビアニメ『SHIROBAKO』に平岡というキャラクターがいます。
 かつてアニメ制作に夢を抱き熱心に取り組んできた平岡は、業界の理不尽な現状に直面し、経験は積み仕事はできるが雑にこなすだけの状態になって現れます。業界に失望しながらもその業界から離れられない。矛盾した中途半端な立場でいて、そのことも自覚して、平岡は『SHIROBAKO』という物語に登場します。
 『SHIROBAKO』の主人公で入社2年目の宮森は、熱心に良いアニメを作ろうとがんばっており、そのために平岡とは度々対立します。平岡はそんな宮森を、業界に夢を見過ぎているだけで、いつか自分と同じように失望するだろうという風に見ています。


 『小説の神様』の主人公・千谷一也もはじめ、この平岡のような状態で登場します。


小説の神様 (講談社タイガ)

小説の神様 (講談社タイガ)


 中学生で作家デビューし、文章力の高さを評価された千谷は、しかしそれ以降は苦戦。出版不況も重なってか年々部数は減り続けています。薄っぺらくてつまらないと感じた小説ばかりが売れていて、自分の作品は酷評されるだけ。自信と意欲を失った千谷は「小説に力なんてない」と思うようになります。

 物語はこの千谷が、同じく高校生作家の小余綾詩凪(こゆるぎしいな)と共作を出す企画から動き出します。小余綾は千谷と異なり人気作家で、小説に対し冷めた見方しかできなくなっている千谷と度々対立をします。曰く、「私には小説の神様が見える」。

 千谷は小余綾との共作を進める中で、徐々にかつての小説に対する熱意を取り戻し始めます。『小説の神様』は千谷を小余綾を通して、「物語とそれを創る意義」を描いています。


 主人公の造形について。作中、千谷は「自分に自信のない失敗ばかりする主人公なんて今の世の中では受け容れられない。もっと万能で見ていて爽快な主人公造形が必要だ。実際そういうものが受けている」ようなことを言います。
 『小説の神様』ではこれに対し、それでも悩み失敗しながら勇気を持って進む主人公が必要だという方向に進展します。そして実際、『小説の神様』も千谷という、弱く脆い主人公が歩み出す話となっており、メタ的にこの説得力を強めます。そのメタ構造にはもう一つ上があり、それは著者の相沢沙呼先生自身です。

 相沢沙呼さんは鮎川哲也賞を受賞してデビュー。『小説の神様』の主人公と同じく文章の巧さを高く評価された方です。ミステリ界からのデビューですが、ミステリに限らず漫画原作やライトノベルなど、広くエンターテイメントに関わっています。
 しかし商業的には厳しい状況であることをtwitterなどでは発言しており、いち読者としては正直不安でした。

 千谷の置かれた状況は相沢さんとかなり重なるものがあり、『小説の神様』という物語の願いを通して、相沢さん自身も千也のような状態から抜け出すことができ、それにより作中で訴えられる「物語とそれを創る意義」がより説得力を持てたのだと思います。

 『小説の神様』は上述の通り「物語を創る意義」を大きなテーマとしていますが、冒頭で例に出した『SHIROBAKO』と同様、より普遍的な「働くことや自分の仕事の意義」としても受け取ることが可能です。

 それは『小説の神様』で書かれる(おそらく相沢さんの体験に則した)今の商業作家の厳しい現状がとてもリアルで、現実感を持ってその悩み苦悩が読者に伝わるからです。作中でも小説はウソを書くんだから取材なんて不要という話が出ていましたが、現実的とは別の意味で、キャラクターの気持ちを親身に感じるには、その置かれた状況をよりリアルに書くことが必要なのだと、『小説の神様』を読んで思いました。



 さて今週の黒ロンらしい話もしておくと、相沢さんはデビュー以来、黒髪ロングストレートでSな性格の美少女ヒロインを好んで描く方です。



 『小説の神様』の小余綾もまた黒髪ロングストレートでSな性格の美少女ヒロインです。
 高校生で人気作家で、誰もがはっとする美少女。自信に満ちたアクティブな振る舞い。千谷に対してキツく当たるのも誰より小説の可能性を信じた真摯さ故で、理由のないSな言動が苦手な読者にも受け容れられるものと思います。

 『小説の神様』は登場人物こそ高校生のお話ですが、内容的にはお仕事ものです。
 それでも高校生をメインにした理由はいくつかあるのでしょうが(日本のフィクションは中高生ばっかみたいな話、ちょっと前にもありましたね)、個人的には「思春期の男子高校生的な目線からの黒髪ロング美少女に対する、羨望と性的観測の入り混じった描写」だけで充分その理由足り得るかなと思います。
 高校生くらいの年頃の、自分なんかが見ていては悪いようで、でも目を離せない。きれいなものへの憧れや憧憬を含んだ視点からは、直接に美しいものそのものの美しさを描写する以上に、読者にノスタルジックに訴えてきます。

 すると、体育館の入り口から、運動着姿の小余綾が姿を現した。長い黒髪は未だシュシュで括られ、ポニーになっている。その髪を揺らしながら、華奢で美しい身体が水道のところまで歩んでいくのを、僕はぼんやりと見つめる。
 彼女はそこで顔を洗った。蛇口から飛び出す水が、きらきらとした水滴となり、小余綾の紅潮した頰と垂れた髪を飾っていく。彼女は顔を上げて、心地よさそうに伸びをした。
相沢沙呼『小説の神様』)


 相沢さんはデビュー当時からこういう描写が非常に巧く、千谷や小余綾のように、これからも小説を書き続けてもらえたらなと願っています。サンドリヨンとマツリカのシリーズ続きが読みたい!

『うちのクラスの女子がヤバい』という革命

1年1組はどこにでもあるごく普通のクラス。だけど、他のクラスとはちょっとだけ違うところがありました。女子生徒がみんな、「無用力」と呼ばれる、まるで何の役にも立たない、それも思春期だけしか使えない超能力を持っていたのです――。思春期女子はへんてこで、それがフツーで、みんなかわいい!衿沢世衣子が描く、思春期限定・ちょっと不思議なハイスクール☆デイズ!



 漫画『ONE PIECE』は主人公の少年・ルフィが幼少期、ひょんなことからゴム人間となるところから始まります。漫画のファンタジーな能力は物語のトリガーとなるもので、登場人物はいつもそれを活用して苦難を乗り越え活躍します。

 衿沢世衣子においては少し違います。思春期だけしか使えない、くだらないささいな超能力「無用力」。場合によっては、場合によらなくてもマイナスに働くことの方が多いこの能力を持って、彼女たちは日常生活を送っています。

 おそらくこれは衿沢なりの「個性」のメタファーで、ものすごい物語のきっかけになる能力だけが個性ではなく、むしろ「個性なんてものは何の役にも立たずすぐに失われるくだらない性質だ」と衿沢は言っている、ように見えます。

 そこに否定的なニュアンスはなく、むしろ他人と比較して優れた能力を持たない多くの人に対する「気にしなくていいよ」という肯定的なメッセージを感じます。表紙画がフランス革命の名画から引用されているのも、「くだらない能力しかない私たちが物語の主人公となる(という革命)」を示唆しているのでしょう。いやはや衿沢世衣子がヤバい。

『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』感想

 初期のミルキィホームズは競馬場や始球式や平安神宮でライブをやるなど、妙なコラボ企画を連続していた。これは「他のどんなユニットもやらないようなこともやるのがミルキィホームズである」という宣言であり、新人ユニットとして登場したミルキィホームズによる世界に対するテロリズムでもあったと考えている。世界をミルキィが侵食し、ミルキィ色に世界を染める。そのProject MILKY HOLMESも早7年目を迎えた。


 5月14日と15日の2日間連続で行われた『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』。中村プロデューサーが引いて初のイベントとなる今回は、初のカウントダウンライブ開催や新規アニメーションの制作も発表されるなど、先の新たな展開を約束するものであった。

 ライブとしては異例なことに、一部でスマートフォンでの撮影を許可される場面があり、ぼくも1日目は非常に席が良かったので近距離からミルキィホームズを撮ることができた。







  • 総天然色フルパワー

 今回のライブはニューアルバム『総天然色フルパワー』の発売を記念したもので、ライブの中心にこの曲がある。


www.youtube.com




 キャラクター個別カラーを採用した時点で、いずれミルキィホームズが全員集合的な意味合いで「フルカラー」を持ち出して来るだろうことは容易に予想できていた。さすがに総天然色でフルカラーと読ませるとは思わなかったが。

 そういう意味で総天然色フルパワーは出るべくして出てきた曲で、極端な話これがデビュー曲として出てきてもおかしくかなった。ただそうならなかったことで、このタイミングで出てきたことで総天然色フルパワーはさらにファンへ感動をもたらす曲となった。

 当たり前だが、この曲中に出てくる色はその色のメンバーを指している。メンバーの個性までも含んで、その色のメンバーを指している。

 それとは別に、一般的に個性は色に例えられる。総天然色フルパワーには聴き手に個性を発揮してほしいというメッセージも込められている。

 そしてミルキィホームズは7年目にしてみな個性を発揮して、歌詞の通り「それぞれが違う色で最高に輝」いている。
 ソロの全国ツアーを決めた三森さんを筆頭に、メンバーそれぞれ本業以外でも活躍の場を広げるミルキィホームズは、他の声優ユニットとも違った輝きを放つ。今、最も「それぞれが違う色で最高に輝け」と言うに相応しいユニットと思う。

 曲中、何度も「色」や「カラー」と言った言葉が出てくるが、この色が意味するのは「色(ミルキィホームズ)」であったり「色(ミルキィホームズ の個性)」、さらには「色(あなた、そしてみんなの個性)」であったりする。

 その境界をあいまいにすることで、『総天然色フルパワー』はいつも通り元気なミルキィホームズのおばかな話でありながら、全く露骨でないファンへのメッセージも込められている。

 そしてそれはミルキィホームズが実際に「それぞれが違う色に輝」いたことで、7年前は本当に新人であんなにダメダメだったミルキィホームズが今のように輝いたことで、よりメッセージの強さを増して我々の前に現れる。

 以前ぼくは『逆襲のミルキィホームズ』はProject MILKY HOLMES集大成と言ったし、そう捉えている人は少なくないだろう。
 しかしProject MILKY HOLMESはアニメだけではなく、アニメより早く始まり毎年精力的に活動している声優ユニットミルキィホームズとしての集大成は別にある。
 それがこの『総天然色フルパワー』であると思う。歌い手の軌跡を背景に、それを共有したファンに向けてのメッセージが込められ、かつミルキィホームズらしさを感じる遊びに富んだ最高のアイドル曲だ。

 またPVを見れば一目瞭然、『総天然色フルパワー』は特撮作品をイメージしている。特撮、つまり特撮ヒーローだ。ファンに応援されるアイドルが、ファンを守るヒーローになる。これもこの7年でミルキィが「それぞれが違う色で最高に輝」いたからこそできたことである。
 ファンの応援を受け成長したミルキィホームズが、今度はヒーローの立場でファンを守る。『総天然色フルパワー』はそんなProject MILKY HOLMES7年の軌跡を想わせる曲である。

 そんな『総天然色フルパワー』を記念して開催されたライブは2日間あったにも関わらず、ソロパートやペアパートを封印し、全て4人曲(+フェザーズ)で固めることで(ソロ曲をみんなで歌うまでして)、「それぞれが違う色に最高に輝け」を体現したライブとなった。

 『総天然色フルパワー』を意識したギルティとの戦い演出はそれをより強く感じさせたし、ライブ会場でブーイングを求める遊びも他ではないミルキィホームズらしさがあって楽しかった。

 加えてこのライブでは「祭」がテーマとなっている。「わっしょい」の語源が輪をみんなで背負うというところにあるのが重要なファクターである。みんなで、というのが重要で、実際ライブ中、ステージ上のメンバーだけでなく会場のファンも何度も何度も「わっしょい」を言う。


 かつてぼくは『逆襲のミルキィホームズ』のタイトル「ミルキィホームズ」はミルキィホームズ世界の住人すべてを意味していると言った。



 であれば、『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』における「ミルキィホームズ」には、もう7年もヨコハマに住んでいるファンも含まれていると考えてよいのではないか。we are milkyholmes。

 我々もミルキィホームズで、ミルキィホームズと同じように「それぞれが違う色に輝」けるのかもしれない。ミルキィホームズというヒーローの守る世界で。


 『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』は(年長者らしく)橘田いずみさんのMCで終わりを迎える。

「わたしたちにはフレッシュさとかはちょっと(彩沙)しかないけど!『みるみるミルキィ』でも夢とか希望とかあげられてないと思うけど!でも、元気だけはあげられてると思う。だから、明日も元気に、行ってらっしゃい!」(2016.5.15橘田いずみ 幕張メッセにて)

『響 ~小説家になる方法~』の巧みなミスリード(ネタバレなし)

 今号のビックコミックスペリオール掲載『響 ~小説家になる方法~』第32話「絶縁」が素晴らしい。巧みなミスリードが見事にはまった回で、「あんなに前からだまされていたのか!?」というミステリ作品の叙述トリックに似た快感を得られる。そして月曜日ジャンプを読んだ中学生のようにネタバレ会話したくなるのだ。


(※一応ネタバレ避けて書いてますが、勘のいい人にはノイズになるので読まない方がいいです)



 『響 ~小説家になる方法~』はいろんな方々がそろって「2巻まで読んだ方がいい」と言う通り、2巻のアレは本当にすごい。



 第32話も同じタイプの技が使われていている。「どっちだ?」「両方」という会話がトリガーで、「両方」がまさかそっちの意味での両方だとは思わなかったことで、読み手は作者にミスリードされていたことに気づく。気づくのだが、気づいて振り返ると、この誘導がかなり前から行われていたという作者の巧みさにも気づく。


 ある程度フィクションのパターンを抑えた読み手は、少し推測の材料がそろうと「なるほど。(よくある)ああいう展開でこの後ああなるのか」などと展開の先読みをしてしまう。そしてそれを否定する材料が出てくるとパターンを外された新しい作品ということで興味を強める。そのため作品がパターンを外すのであれば、それが分かる手がかりは早めに提示するものということまで含めて、分かっている。それはつまり決定的なパターン外しを示唆されない限り、自分が先読みしたパターンの展開に作品が乗っていることを疑わないということを意味している。
 『響』の場合はすぐにパターン外しを提示しない。引っ張って引っ張って読み手がパターンに乗っていることに疑いもなくなった頃に、若干否定的な材料(しかし決定的ではない)を見せる。しかしその頃には読み手はすっかり騙されているから疑いもない。ここで否定的な材料を疑えないのは、読み手がメタ視点にあることも要因だろう。

 読み手はメタ視点で見るために、キャラクターの行動に自分の読み方と異なる部分が出ても「メタ視点にいる自分が先読みした展開に沿った進み方が正しくて、このキャラクターは何らかの理由でウソをついているもしくは勘違いしている」と思いがちだ。

 2巻のアレで言えば、響自身は真実が明らかになる少し前から「本当の事」を言っている。そこに気づけないのは先読みしたパターンに疑いがなくなっていることに加え、読み手はメタ視点にいるという油断がある。


①フィクションのパターンを抑えた読み手は、パターンに沿って展開を先読みする。決定的に否定する材料が出てこない限りはそれを信じる。否定材料のないまましばらく進むことで(明らかに書かれていない)それがまさか前提のように考え、他のパターンを疑えなくなる。
②読み手がキャラクターと比べてメタ視点にあるために、実際はどちらともどとれる言動をしても、どちらかに違いないとして読んでしまう。


 まとめると『響』のミスリードは上の2点の合わせ技である。
 そしてそうした巧みなミスリードは一瞬の快感に終わらない、普通のパターンを外されたことで衝撃的な展開となり、さらに先の展開への興味を強めるのだ。小説家という地味な題材の漫画で、画や画面演出にも決して派手さはないが、中学生にとっての月曜日のジャンプのように続きが気になるのはこうした技術に依るものと思われる。

今週の黒ロン:『ななしのアステリズム』

今週の黒ロン

 連休も終わりが見え始め、ふと高校を出てからもうずいぶん経ってしまったなあと昔を思い返す。どころか大学を出てからもしばらく経っていた。

 そんなふうにまあ、ぼくもそこそこに生きてきたから実感を持ってこういうことを言うのだけど、昔すごく仲が良かった人と今は全く疎遠になるなんてことはざらにあるものだなあ、と。当時は考えもしなかったことを、如何にも自然なことのように感じる。

 中高のとき仲が良かった人と久し振りに会って、結局ひどく表面的な話しかできなかったときの絶望感と言ったら。でもそんなことにも徐々に慣れてきている。それを「成長」と呼ぶのにはまだ躊躇いと疑いがある。



 『ななしのアステリズム』のキャラクターたちは3人の友達関係を維持するためにそれぞれ隠し事を持つ。そこには間違いなく変化への恐れがある。相手の変化への恐れ。自分の変化への恐れ。関係の変化への恐れ。
 中学1年という世界があっと広くなって、急に狭くなって、周りがどんどん変わっていく彼女たちの時間が、世界がそれを加速させている。中学生という小学生でも高校生でもない、フィクションで描くにも難しい世界がここにある。

 この手の話の類型は男女入り混じった3人であらば数えきれないが、『ななしのアステリズム』の場合は全員が女子である。したがって中学生になってみんな「普通の恋愛」に向かって行く中で、「自分だけ」同性愛へ向かうことへの恐れも彼女たちにはある。結果、彼女たちのバランスは表面的には危なげなく保たれている。おそらく同じ題材でも男女入り混じった3人であれば、誰かが早々にこのバランスを崩しにかかる、はずだ。


 「『ななしのアステリズム』は7話まで読んでほしい」というすすめ方がこれから流行るはずだ。

私達は 同じ気持ちで 同じ強さで 同じ重さで お互いを”好き”じゃないとダメなんだから……(第7話★テンビン)


 まさかのミスリードでした。


 キャラクターの心理描写が丁寧で、それはメインの3人のみならず、彼女たちに深く関わる男性たちも当て馬のごとく利用されては終わらない。それが彼女たちのバランスを、彼女たちの隠し事とは別の方向から、揺るがしにかかる。

 突如現れたイケメン男子は意外にも良いやつで諦めも悪く、まだ背景が見えないために何度も彼女らの前に現れそうだし、主人公の双子の弟に至っては重度のシスコンで、時間経過による関係の変化を恐れる双子という単体でメイン張れるやつが彼女らの三角関係を見据えている。


 「アステリズム」とは星群のことであり、「ななしのアステリズム」とはまだパターン化されていない彼女たちのことを意味しているように思う。こういう話に、「どうせいつか終わるんだから今何をしても無駄」と言うふうにはまだ割り切れないが、おかげでこの漫画を今非常に面白く読むことができる。





 実に三カ月ぶりに今週の黒ロンを書いたらすっかり黒ロンポイントを書き忘れてしまうところであった。今週でも黒ロンでもなく終わる今週の黒ロンになるところであったが、『ななしのアステリズム』のポイントはサッカー少女であるボーイッシュで天真爛漫な主人公・白鳥司が、見事に黒髪ロングストレートなところである。

 中学生活の初日。通学途中、司の長い髪がある生徒の制服のボタンに絡まってしまう。『ななしのアステリズム』はそこから始まる。
 この些細でありきたりな事件は、しかし彼女たちそれぞれにとって特別な意味を持つことになり、それはそれぞれの胸に内に秘めている。特に司の場合は、それまでさして意味のなかったロングヘアへの特別な意味付けとなって今日に至る。

 司のロングヘアにはしっかりとした意味があり、そのエピソードが全体の話の中でさらに何重かの意味を持つ。『ななしのアステリズム』における3人の百合三角関係において極めて重要なファクターとなっているのだ。

 あと突如告白してきたイケメン男子が、ちょっと会ってみたら親切だし気遣いできるしなんだこいつめちゃくちゃ良いやつじゃん!みたいなエピソードをへーってわりと無感情で読んでいたのだが、その後で黒ロン好きなのが判明してなんだこいつめちゃくちゃ良いやつじゃん!てなりましたね。そんな漫画です。