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今週の黒ロン:『斉木楠雄のΨ難』

 今週の週刊少年ジャンプに掲載された『斉木楠雄のΨ難』「第242回 Ψを見抜け!完璧美少女の試練」 が非常に良い回だった。照橋心美さんメイン回。



 照橋心美さんは外から見れば天使のように完璧な美少女。
 しかしそう見られているのも本人の計算の内で、高いプライドと並々ならぬ努力によって完璧な美少女として演じ振る舞っている、というキャラクターだ。
 そして本作の主人公・斉木は他人の思考を読む超能力者のために、斉木だけは照橋さんの真実を知っている、という構造である。
 だからと言って 、照橋さんの心があまり美しくないからと言って、斉木の彼女に対する評価が落ちることはない。むしろそれだけの熱意と努力を投じることができる照橋さんを、心が読める斉木も尊敬視している。


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 容姿のきれいな人の性格が悪いことを知ってショックを受けた経験は多くの人にあると思うが、照橋さんの場合はそれと異なる。内面が外から見た天使のように完璧な美少女の通りではなくても、そうあろうとするプライドと努力は別の観点からすごいことで、斉木だけでなく一読者としても「外見がいいだけの実は腹黒なキャラクター」として照橋さんを見ることはない。照橋さん自身は完璧な美少女を演じきれば完璧な美少女と同じと考えているようだが、完璧な美少女であろうとする心が完璧な美少女である、というふうに映る。個人的に精神が黒髪ロングであるという表現をまま使うが、照橋心美さんからはそういった印象を受ける。

 以上を踏まえて今週の話は、周りの期待に応えて過度にがんばりすぎてしまう照橋さんと、それを心配してなんだかんだで影ながら見守り続ける斉木という2人の関係。そして照橋さんがその斉木の存在に気づいた後、これまで高いプライドと並々ならぬ努力によって維持してきたことをいとも簡単に「忘れちゃった」と捨て去り、新たな魅力を輝き放つというストーリーがとにかくすばらしい。

 これ以上はただのストーリー説明になってしまうためやめるが、完璧な黒ロン美少女はすごい努力の上に成り立っている上にさらに進化の余地を残しているというお話で、とても良かった。

『月がきれい』を月がきれいになれないという話

 相談事のある人はたいてい的確なアドバイスなんて求めていなくて、ただ話したいだけだから話を聞いてあげるだけで十分という説がある。
 それは一見ひどく無意味な行為のようで、たしかに悩みや不安を口にするだけでいくらか気分が楽になるという経験はあって納得できる。ぼくにとっては「話す」より「書く」がそれに該当するものかと思う。何かをおすすめしたいとか発信したいとかよりは、何かに耐えられなくなったからという理由でこのブログは書かれている。

 そんなわけで今回も耐えられなくなったので書くが、的確なアドバイスなんて求めていなくてただ話したいだけだから、どうか話だけ聞いてもらいたい。


 アニメ『月がきれい』を観ている。


tsukigakirei.jp


 「中学生男女のはじめてのお付き合い」というストーリーのアニメで、その一言で十分すぎるほどに説明できているシンプルなお話だ。つまるところそこに魅力が集約されている。


 キャラクターの中学生っぽさが良い。
 設定年齢が中学生というだけでなく、本当に中学生だったらこういう話し方をして、こういう人間関係があって、こういう小さな悩みがあって、という点がとにかく押さえられていて、本当にキャラクターがみんな中学生している。高校生でも小学生でもない、中学生。

 このへんがしっかりしているから「中学生のはじめてのお付き合い」というストーリーがより力強くなる。

 大きな事件や恋愛ドラマがあるわけでなし、打算や計算もなし、ただ「なんとなく」お付き合いをはじめる2人。こういう純粋な「中学生のはじめてのお付き合い」はやはり中学生でしかできなかったんだなあとしみじみ感じる。

 高校や大学では付き合うという事件がそこそこありふれたものになり、周りの友達の影響もあって、また別の意味が加わって彼氏彼女という付き合いが始まる。大人になってからはもっとちがって、結婚や共同生活という地点をある程度見据えてのパートナー選びになってしまう。

 ぼくらは成長するにつれてこの「中学生のはじめてのお付き合い」から離れていき、別の観点で別の価値を求めてパートナーと生きていく(のを目指す)。それはどちらが優れているという話ではなく、むしろ少なくとも「今は」今目指し求める関係性がベストで、それ以上はない。なのだけれど、『月がきれい』はその今はできないあのときあんなに価値があってあのときしか手に入らなかったものがたしかにあったのだなと、思い出させてくれる。

 それはお察しの通りあまり気分がよいものではなく、だから『月がきれい』は中学生なんてとうの昔に過ぎた年齢の集団で良い酒を飲みつつ時に一時停止し騒ぎながら観たり、自宅に独り暗がりでじっと一気に観たりするといい。ぼくは後者で耐えられなくなったのでこうして書いている。

 自分はわりとフィクションとの距離感はとっているのであまり「こういう経験がしたかったー」と感じることはないのだけれど、だからといってそういう気持ちがないわけではないので、今すごく水野さんとお付き合いしたい(という素直な気持ちを出させるのもまたやだ)。このままだと自分の中学時代が成仏してしまいそうでこわいのでそろそろ『月がきれい』を観るのはやめにした方がいいのかもしれない(観る)。

株式会社を退職します。

 タイトルの通りですが、このたび退職の運びとなりました。

 世間では某社の内定取り消し事件なども騒ぎになっていますし、転職先の採用担当を名乗る人物の詐欺という可能性もまだありますので確実とは言えませんが、たぶんおそらく。

 もう上にも話を通しているので、いつかの誰かよろしく社長に懐柔されるようなことにもなりません。引き留められるほど重要なビジネスパーソンでもありませんし。


 さて世間では大卒内定率が非常に高いようで、就職・転職活動は売り手市場と言われています。そんな中で20代での転職活動となり好条件が揃っていたはずですが、結果的には活動期間は足かけ2年半ほど。3桁の企業と団体を受験して全て採用見送りという状態でした。それも特段キャリアアップを望んでいたわけではなく、むしろ決して高くはない今のお給料から下がるところばかりを受けていての結果です。

 社内では後から転職活動を始めた先輩や後輩が次々去って行き、インターネットの交流範囲で仕事に苦しんでいた方々も続々やめていき、後続の人間のためにも自分が会社をやめる選択肢を示していかなければという目的も達成しすぎました。


 せっかくの退職エントリですので5年前今の会社に入社したところから始めますと、もともとビジネススキル的なものが圧倒的に不足していたことに加え、会社や仕事に合わず、いろいろあって入社した年の夏には始末書を作っていました。そもそも始末書のフォーマットが社内に存在しなかったため、インターネットで調べながら始末書を作成するこれは入社1年目にしてクリエイティブで責任の大きな仕事でした。

 そんなようなレベルの事件がたくさんあり、さすがに社内でも問題視され、3年目に入って人事異動があります。タイミングや異動先を考えると社内でも過去に例がない異動で、端的にあまりにできないので飛ばされました。

 元の部署では100のコストをかけて5の成果物しか作れず、ゴミのように扱われていましたが、異動先では100のコストをかければ20の成果が上げられるようになり、扱いもリサイクルできるゴミあたりまでランクアップしました。

 元の部署では半ばノイローゼ状態で、会社をやめるという発想も思い浮かびませんでしたが、仕事内容が変わって多少余裕もでき、なんとか「そうだ会社をやめよう」という気持ちを持つことができるようになりました。ここまでで2年半かかりました。

 今の部署にいる分にはなんとか半人前もとい3分の1人前としてやっていますが、会社全体の中では特殊な部署なので、ここから異動したり上司が変わったりすればまた悪くなるだろうという読みがあり(実際わりと人の入れ替わりが激しい部署でした)、またこの2年半の間に構築した社内の人間関係もすこぶる悪く、この会社組織からエクソダスしたいという想いもありました。

 あとはそういった諸々を取り除いて考えても単純に会社のことが好きではない。お給料もらう働くのビジネスライクな関係で捉えてもここで何十年も過ごすのは無理だろうという判断も働きました。

 転職活動をはじめて半年。ここまで書いたとおりの状況ですので当然うまくいっていませんでしたが、そんなときアニメ業界を舞台にしたアニメ『SHIROBAKO』に出会います。

 『SHIROBAKO』は自分にとって非常に重要な作品で、そのときから今でもぼくは「『SHIROBAKO』のおかげで会社をやめることができた」と言っています。結局実際にやめるのはそこから2年かかってますが。

 『SHIROBAKO』を観たことは自分の中で大きな転機となりました。
 それまでは既に書いたようなマイナスの要因、とにかく会社を脱出したいという想いが全てでしたが、『SHIROBAKO』でそれぞれの役割を担う仕事人と宮森姉を見ていて、積極的に世の中を良くしていきたいという風に想うようになりました。これは『SHIROBAKO』以降に観た他のいくつもの作品からも感じましたが、やはり「仕事」というストレートなテーマから、『SHIROBAKO』が最も強く、そして最初に届いたメッセージでした。

 またこの頃から『アイカツ』がアイドル活動をアイカツと言うのに倣って、退職活動をタイカツと呼び始めました。アイカツのアイドル活動が実に多様なように、タイカツも退職や転職に留まらず、より広い意味で生きること活きることを意味しています。そこには『SHIROBAKO』で学んだように、後ろ向きな退職活動ではなく、前向きなタイカツという想いが込められていました(※個人の造語です)。
 ちなみにあまりにタイカツが長引いてしまったためにその後、退魔活動をタイカツと言うアニメが出てきてしまいました。

 ここから『SHIROBAKO』が気持ちの上で大きな原動力となり、退職できて良かったねという展開を望んでいましたが、前半部は正しいものの、後半部の活動がうまくいかないどころではなく。春が来てまた春が来てもタイカツしてる人みたいになっていました。みたいではなく事実してました。

 理由はコミュニケーションスキル問題も多分にありますが、振り返るととても受からないようなところまで受けていたことが大きな原因かと考えています。

 自分自身が専門的で汎用できるようなキャリアを積んでおらず、経歴がいまいちだったためにマッチングがうまくいかなかったこと。にも関わらず興味の向く会社や仕事にエントリーしていたことが結果的には無駄な労力となり負担となって悪いサイクルに入っていたのだと、振り返るとそう思います。

 「受けてみるのは無料だから興味の向くところはとりあえず受けてみよう」とは新卒採用やキャリアアップを望むような人ならそれで良かったかもしれませんが、自分のように能力の低い転職活動ではマッチングがうまくいかないところまで受けるのは割に合わない。受けてみるのは確かに無料ですが、面接を受けるためには面接先に指定の時間に赴く必要があり、そのために仕事を無理して切り上げたことが翌日以降に影響して回り回って自分の負担となっていました。

 そんなこんなで2年間はけっこう大変でした。毎週面接を入れて土日はその準備。週末にお祈りメールをいただくという生活が何ヶ月も続き、世の転職活動者はこんな負担を強いられながらSNSに愚痴のひとつもこぼさずにやっているなんてどれだけ強靱な精神を持っているんだと驚くばかりでした。最近になって転職活動の平均期間が3ヶ月と知り、たった3ヶ月黙ってればいいならそれぼくでもできたしやってたわ……と思い直し評価を下げました。

 そんな長きにわたるタイカツもついに終わりを迎えます。今年度には異動が予定されており、もともと今の部署を出たら死ぬと考えていたために、今年度上期がリミットと見ていました(※精神的にはリミットもっと早く来ると思って急いで活動していましたが、既に述べた通り内定は出ず、また仕事も心を殺して働くことでなんとか生き延びていました)。

 さすがに2年半の経験値エントリーシートの書き方や面接での受け答えにも慣れ、先月には某社の1次面接を通過して最終選考を受けることができました。この2年半で1次面接通過は片手で数えられる程度しか経験していませんが、中でもわりと感触が良いところでした。

 と言う折に年度末の上司面談で異動の可能性が高いと示唆され、カウンタースペルとして退職意向を伝えました。ここまでのタイカツ状況とその時点で内定ゼロということを考慮すると、自分にしては相当思い切った行動だったと思います。

 そこからは年度の切り替わりで仕事が忙しく、面接を受ける時間が取れず、最終選考結果待ちしかできない状態でした。ところが2週間経過後も結果連絡がなく、いよいよ無職生活も視野に入れていたところでたまたま土日選考で面接1回のポジションを見つけ、そこを受けてなんか内定もらいました。その後、結果待ちしてた会社からお祈りメールをいただきました。


 以上が2年半にわたるタイカツになります。

 せっかくの退職エントリですのでこれからタイカツする方に何かアドバイスができればと考えていましたが、後からタイカツはじめた方々は既に退職・転職してしまい、既にアドバイスするような対象者がいなくなってしまいました。また正直これまで自分が学んだこと身につけたことが正しい自信が全くない(これをこうしたら内定が出たというような成功体験ではないので)ためにアドバイスするような内容もありません。

 それでも何か伝えられることがあるとすれば、『SHIROBAKO』を観なさい宮森姉を見なさいというのと、はじめの方に書いた受かる可能性のないところは受けるなという話は逃げるは恥だが意識低い転職活動には役に立つと思ってます。

 あとは受け続けていれば自分を見てくれる会社ばかりではないということ。自分を見てくれないとりあえずマンパワーがほしいような会社もあって、そういうところが意識低い転職活動ではむしろ狙い目です。自分を見て判断されたら落ちるに決まってるので、自分を見てくれないところを探していました。こればかりは募集要項からは読み取れないので、とにかく受け続けるしかありません。
 今の会社で得た内定も、震災で採用スケジュールが狂って急いでいたために人事が判断をミスしたことが原因と考えているので、まあ続けていればそういうこともあります。


 『探偵オペラ ミルキィホームズ』には「あきらめなければ必ず夢は叶う」という言葉があって、がんばっても探偵になれなかったことを指してあきらめなければ必ず夢は叶うなんて嘘ではないかと言うコーデリアに対し、シャーロックが「それはあきらめたからです!」と返し、「どんなにどんなに落ちぶれたって、自分は自分の目指す自分になれるんです! 自分がなりたい自分になれるんです!」と続けます。

 この「あきらめなければ必ず夢は叶う」を今回経験したと思っています。通常は3ヶ月で終わるようなことをその10倍の期間をかけて続けて、結果的に目標は達成できました。
 ただ、それだけのコストを他に回せばもっと他に大きなことができたはずですし、本当にあきらめずに夢が叶ったことが良かったとは言えないと思っています。それでも夢なんてものはそもそも自分の中の話で、客観的に最良の選択かどうかなんてことは問題ではなく、自分が納得できていればそれでよいものです。そういう意味で今回あきらめなくて夢が叶ったことは良いことだと納得していますし、あきらめないで夢を追い続けるとはそういう意味なのだなとひとつ学びになりました。

 今後については、新しい場所で弊社と同じような失敗を繰り返さないよう学んだり考えたり準備する所存です。それに伴ってあまりこのブログは動かなくなりそうですが、その点はご了承ください。


 タイカツ、完了です。いつも心の支えとなってくれたインターネット、ありがとうございました。またどこかで。

『禁じられたジュリエット』 ミステリの存在する意義

 古野まほろ『禁じられたジュリエット』読んだ。古野さんの長い警察(体制側)キャリアと本格ミステリへの強い拘り、そしてガジェットに対するフェチズムがなければとても書けなかっただろう大作。どすげえ。Kindleストアで今安い。


禁じられたジュリエット

禁じられたジュリエット

 『本格ミステリとは何か?』というテーマを、真正面から採り上げてみてはどうだろうか? というか、それができるのはあるいはすべきなのは、このメモリアルイヤーを措いて他にないのではないか?
――そんな思いつきから、そして、ほんとうにちょっとした使命感から、『禁じられたジュリエット』はできました。
 本格ミステリの意味をとらえるためには。
 本格ミステリのない世界を考えればいい。
 そんな世界では、いったい何が起こるのか。あるいは何も起こらないのか。人間と社会にとって、そして『あなたと私』にとって、本格ミステリとは何なのか? それを、本格ミステリそのもので表現してしまおう。評論でも哲学でもなく、小説のかたちで、書き手がやってしまおう――
『禁じられたジュリエット』古野まほろ|講談社ノベルス|講談社BOOK倶楽部


 「ある罪」を犯してしまった女子高生6人が更正プログラムという名目で反省室に収監され、囚人となる。教師の指示により看守にはその同級生2人が指名される。
 始めこそプログラムを早く切り上げられるよう協力し合うよう決めた8人だが、それまで友達同士であった彼女らを、立場は状況は狂わせていく。

 6人の性格・特徴からそれぞれに合ったアプローチを取って「転向」を強いる看守の手腕は、女性同士のぎすぎすした関係を超えて惨く、悲しい。

 6人の犯した罪は、現政権下で退廃文学として禁書となっている「ミステリ小説」を読んだこと。

 看守の拷問に耐える囚人たちには、正義とは? 体制とは? と言った問いかけが幾度もされるが、それと同じように「ミステリ小説」とは? 「本格ミステリ」とは? という問いかけも同じレベルにある。

 それは本格ミステリ定義論などではなく、もっと本質的な、本格ミステリの存在する意味を問うものである。アクチュアルな価値がない、現政権下では害悪でしかなくなった本格ミステリはなぜ必要なのか。

 責め苦に耐えながらその解答を模索するが、そう簡単ではない。本作は娯楽のある意味は心の栄養といったレベルのふわっとした答えではなく、もっともっとミステリとは? 本格ミステリとは? を突き詰めていく。

 そしてついに本格ミステリに対する解答に辿り着いた彼女らの前に事件は起きる。
 そう、ここまでは拷問と本格ミステリ論考だけで作品自体はミステリではなかった。それが事件が発生したことで作品自体がミステリと化す。そしてそれは先ほど出した本作ミステリの解答に対して実証編となる。

 本格ミステリに対する解答を出した本作が、それ自体が本格ミステリとしてそれを実証する。それが読者にはメタフィクション的に届く。


 おそらくこの結論だけを作品から取り出して「これが本格ミステリの存在意義です」と言うには、本格ミステリもその意義も広すぎる。ただ、この作品の中で至った解答として流れも踏まえて非常に美しい。

 これは本格ミステリを例にした一つの具体的な解答であり、いろいろな娯楽の存在意義について突き詰めて考えていくと、「心の栄養」だけでなくもっと具体的でアクチュアルな解答が見つかるのだろう。それは人それぞれに異なるものだろうし、そんなものを見つけなくても生きていけるはずだ。それでも、自分なりのそれを見つけたい。そう思った。

『ワールドトリガー』「主役になれなかった人たち」の物語

 『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール』(以下、『劇場版SAO』)を観ました。先週観たばかりでしたが、特典の書き下ろし小説ほしさに。あと先週は原作の事前知識ゼロで行ったので終始「アスナさんの髪がめっちゃ長い」という感想しかありませんでしたが、やっと原作1巻とおおまかなあらすじ等読んで多少なりとも知識を得たので改めて。再観賞の感想としては、アスナさんの髪がめっちゃ長いです。ご査収ください。

 『劇場版SAO』には「(能力的な問題で)主役になれなかった人たちの存在は小さく、だからみんなの記憶にも残らない」という想い悩みを抱える者が出てきます。『SAO』がアスナさんを中心とするストーリーとして、 『劇場版SAO』 は「主役になれなかった人たちの物語」として見ることもできます。

 「主役になれなかった人たちの物語」と言っても、サブキャラクターに焦点を置いたもの、敵方視点を描いたもの、全員が主役と謳うもの、主役になれなかった哀しさを謳うもの、様々あります。

 様々な「主役になれなかった人たちの物語」は、本編に深みを出すためですとか、物語のお約束を外した新奇性を狙ってですとか、いろいろな意図から作られているようですが、そんな様々な作品が受け入れられるのは、見る人々にも「主役になれなかった」という想いがありコンプレックスがあるからかもしれません。

 2011年に放送されたアニメ『輪るピングドラム』には「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」という有名なセリフがありますが、これも多くの人に「主役になれなかった」という想いがあるから、強い印象を残したのかもしれません。

 では「主役になる」とはどういうことなのでしょうか? 彼ら・彼女ら・我々・私は如何にして主役になれるのでしょうか?


 ここからは『ワールドトリガー』16,17巻の感想になります。




 『ワールドトリガー』最新18巻の発売を機に16,17巻を読み返していましたが、このB級ランク戦ラウンド5がすごくおもしろいです。

 流れとしては主人公である三雲たちがラウンド4でB級上位組に完敗したことで、チーム戦力を強化すべく新たな戦術を生み出した。そのお披露目のような回です。この新戦術は、核となる新たなスキルこそ読者も知っているものの、それをどう使うかといった戦術に関しては読者視点でも初見のものになります。

 三雲隊は新戦術として、準備して迎え撃つタイプの戦術を採ります。敗北からさらに強くなり立ち上がる展開の流れこそ三雲隊主役の視点ですが、実際の戦闘は香取隊と柿崎隊という「主役になれなかった人たち」が三雲隊をどう攻略するかという視点から展開します。

 事実、戦術描写以外のチームの過去回想などドラマシーンは香取隊と柿崎隊が大部分を占めています。全体量としてもあまりドラマシーンを描かない『ワールドトリガー』において、戦闘中にここまでドラマシーンが入ってくるのは珍しく、実際、前回のラウンド4やこの後のラウンド6は戦闘中にドラマシーンを挟む構成にはなっていません(ただしラウンド3の那須隊・鈴鳴第一との戦いはラウンド5と同じくドラマシーンが多い構成で、漫画として飽きのこないよう考えられています)。そうしたキャラクターの背景を過去回想として見せなくても、ちょっとしたキャラクターの言動で個性付けできるのが『ワールドトリガー』の良いところですが、そこを語り始めると脱線するので話をラウンド5に戻します。


 香取隊から見ていきます。香取隊はリーダーの香取葉子を中心とし、他の2人(若村麓郎・三浦雄太)が香取をサポートするチームです。香取個人の能力はマスタークラスであるものの、努力が苦手で天性のセンスで全てまわしているために、気分によってパフォーマンスにムラのあることが香取の弱点であり、チームの弱点にもなっています。

 それは香取が能力的に抜き出ており、性格的にも他の男子2人が彼女に口出しできない。しても無駄なためです。麓郎は努力を軽んじるわがままな香取と衝突しがちで、雄太は2人のギスギスした対立をやわらげるべく行動し、チームのバランスを取ろうとしています(こういう人間関係あるあるですね)。
 香取の幼なじみである華がオペレーターを担当しており、唯一香取に進言できる華が戦術面でチームを補佐し、なんとかやっているのが香取隊の現状です。

 香取隊の問題は香取個人の問題であり、彼女に対する他のチームメンバーの問題でもあります。問題を抱えた香取隊は問題をそのままにだましだまし進んでいますが、B級ランク戦の結果だけ見ても元々居た上位からかなり順位を下げているようです。

 そしてこのラウンド5で香取隊の問題は表面化します。

 それは香取が三雲たちをおもしろく思っていないからです。ヒーローのような目的意識が有り、調子よくランクを上げていく三雲が、三雲隊が、香取はおもしろくありません。
 その理由は戦闘中に挿入される過去のドラマから判明しますが、香取も同じように目的があってボーダーに入ったからです。それなのに低迷する香取は、新参で一気に駆け上がっていく三雲たちに嫉妬している、節があります。

 香取は第一次大規模侵攻の際、幼なじみの華に助けられています。華はそこで自分の家族を失っており、つまり家族よりも優先して香取は助けられました(華曰く「助かる可能性が高いほうを選んだだけ」)。そのため華がボーダー入隊を希望すると香取も同じくし、2人で組んで1番を目指します。

 という香取隊の始まりとなる感動的な過去回想は、香取隊がB級中位に落ちて、香取は諦め苛立ち、チームの雰囲気も悪く、落ちた中位でさらに新参の三雲隊に押されている最悪の局面で挿入されます。


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 主役的な目的や意識、条件を備えているからといって何もかもうまくいくわけではない、現実は甘くない、という香取の三雲に対する発言は、自身も同じようにヒーローの条件を備えているにも関わらず足踏みしているという苛立ちから来ています。

 これに対し三雲は、ヒーローの条件を備えているからヒーローのように振る舞えるのではなく、そう行動するべきだと自身が思っているからやっているだけのことが、結果的にヒーロー的に見られているだけというような返しをしています。
 これは実力的に香取に大きく劣る三雲の発言だからこそ重みがあります。三雲のセリフからは彼の信念を強く感じ、それこそが彼が主役たる所以と思います。


 次に柿崎隊です。柿崎隊は香取隊とは対照的にチームのまとまりがよく安定的です。三雲隊や香取隊のように突出した実力あるタレントは不在ですが、柿崎隊長が指揮し、他の2人が彼をサポートする体制です。

 堅実な戦い方をする柿崎隊の問題もやはり柿崎個人のものになります。かつては嵐山隊に所属していた柿崎は入隊間もない頃、ボーダーの広報イベントで記者からの意地悪な質問を受けます。「街の人と自分の家族のどちらを優先して守るか?」というその質問は、どちらを答えても揚げ足をとられかねない、ボーダーに批判的な記者からの質問でした。

 答えに窮する柿崎を横にして、嵐山は迷わず家族を守ると答えます。家族が無事であれば後は何の心配も無いので、(自分が死ぬまで)街の人を守ります、と涼しい顔でヒーローのような受け答えをする嵐山。それを横で見ていた柿崎はその後、嵐山隊がボーダーの顔として広報を担当することに決まったことをきっかけに嵐山隊から独立します。柿崎本人はこの件を「自信がなくて逃げ出しただけ」と表現しており、このエピソードから柿崎は「自分は嵐山のようなヒーローになれない」というコンプレックスを抱いている、ように見えます。

 そういった背景からか、柿崎はチームを全て指揮しなければならないという責任感で全体視野を狭めています。これは解説の時枝からも柿崎唯一の弱点として指摘されているものです。

 そんな柿崎は三雲隊との戦いの中、それまでの方針を改め、柿崎本人にも変化が見られます。そして最終局面、空閑と対峙した柿崎はモノローグでこう言います。


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「おまえらにとっちゃ俺たちは遠征までの通過点 勝って当たり前の相手なのかもしんねーが 新しい連中がどれだけ派手に追い抜いて行っても それであいつら(※柿崎隊メンバーのこと)の価値が消えてなくなるわけじゃねえんだ」


 『劇場版SAO』には「(能力的な問題で)主役になれなかった人たちの存在は小さく、だからみんなの記憶にも残らない」という想い悩みが出てきました。そして、これに対するアンサーは「例え戦力的に貢献をしていなくても、戦う意志があった者のことを忘れることなんてない」というものでした。

 自分より能力的に優れた人がいるだとか、自分より大きな目的意識を抱く人がいるだとか、そんなことはただの事実であって関係なく、「主役になる」とはそういった事実を受け入れた上で自分自身でアイデンティティを確立すること。自分の居場所を、役割を選択し、納得すること。それが「主役の物語」ではないでしょうか。

 「あいつら」に柿崎自身が入っていないのが(またオペレーターも含んでいることが)彼らしいですが、主役でなくとも実力的に劣ろうともそれを理由に価値がなくなるわけではないと断言する柿崎は、嵐山のように三雲のように主役であると感じます。


 ラウンド5終了後、香取隊と柿崎隊はそれぞれ問題への解決に一歩足を踏み出します。それは両隊とも隊長個人の問題をチームで分ける、と言った解決でした。「主役になれなかった」コンプレックスを抱く香取や柿崎は、チームの協力を得て再び立ち上がります。


 「主役になれなかった人たちの物語」は様々ありますが、ここであえて『ワールドトリガー』B級ランク戦ラウンド5を採り上げたのは、「主役になれなかった人たち」として香取隊と柿崎隊2チームの物語を同時並行で進めることで、「主役になれなかった人たち」を相対化していることが理由です。それによって「主役になれなかった人たち」視点という、それ自体がすでにパターン化されてしまったものを改めて再定義しています。

 それはメタな意味での主役(=物語の中心人物)とは別に、誰もが主役になることはできるということ。ただしそこに至るまでには大きな苦労や苦悩があること。そしてそれが全然当たり前ということです。


 『ワールドトリガー』の作者である葦原大介さんは、作品の主役を1人ではなく4人(三雲修・空閑遊真・雨取千佳・迅悠一)と考え描いているらしいです。またそもそもの登場キャラクターが異常に多いことから、 視点が固定されず多角的に見ることのできる、非常に良くできた群像劇となっています。

 三雲たちはあくまで中心であり、彼ら以外が「主役になれない人たち」というわけではありません。

 三雲たちとは別に独自の信念を抱く者もいれば(※例えばB級隊員の荒船には自身やチームのランクを上げること以外にボーダーを強化する野望のあることが彼の口から語られている)、香取や柿崎のように未だ主役になれない悩みを抱える者もいます。

 彼らを取り巻く世界はシビアなもので、ものすごく研究して作戦を立てたチームが勝つわけでも、強い目的意識を持つチームが勝つわけでもなく、勝負は実力プラス時の運というシビアな世界が『ワールドトリガー』の世界です(※例えばこの後のラウンド6では準備研究したチームの成績が結果的に芳しくなく、またボーダー個人トップの成績を残す太刀川からはあまり目的意識を感じず、いつものほほんとした感じです)。

 これは余談ですが、こうしたシビアな世界を大人の厳しさ嫌らしさとして出すわけでなく、基本的には子どもが楽しんで遊んでいるような世界観で出してくるのが『ワールドトリガー』の特色です。


 そうしたシビアな世界で各人が信念を貫き生きることは大変で、大変現実的で、だから香取のように苛立つのもすごくよく分かって、だからこそ『ワールドトリガー』を読む我々も「主役になる」べきなのです。

『劇場版SAO』 アスナさんの髪がめっちゃ長い

 『劇場版SAO』観てきた。


sao-movie.net


 『SAO』の前知識は主人公とヒロインだけはキャラクターとして知ってて、あとは結婚することとオンラインゲームものってことは知ってて。つまりほぼ前知識ゼロでしたが、観る上で困ることはなかったです。現実世界のこの人とゲーム内のこの人がイコールってのもすぐ分かったし。ちょっと驚いたこともあるけど(ユイちゃんが突然大きくなったり)だいたいなるほどこういう設定なんだなふむふむで観られたんで、前知識ゼロだときついと言ってる人がいましたが、そこそこフィクション慣れしてる人ならきつくはないかなと。

 率直な感想としては、まずアスナさんの髪がめっちゃ長い。めっちゃ長いですね。古来よりヒロインの髪が長いアニメは名作と言われますが、この一点だけでも映画館に足を運んだかいがあったなと。アスナさんキャラクターとしては知ってたんですが、まさかここまで髪が長いとは。別に『SAO』に限った話ではないですが、キャラクターイラストはどれもバストアップがメインで、全身図が映らないと髪の長さって分からないので。ロングヘアーにしても肩にかかるくらいとか背のあたりまでとか長さの違いってあるわけで、それがアスナさんはお尻くらいまであるじゃないですか。しかもワンレンで前に垂らした髪もめっちゃ長くて、つまりアスナさんの髪がめっちゃ長い。

 で、この髪の長さって「設定:髪が長い」ってレベルじゃなく、髪が長いからには座れば地に着くし、寝転がれば一面に広がるし、アクションでは揺れ動くし。とにかくアスナさんの髪が長い。めっちゃ長いと感じさせてくれる。そんなすばらしい映画でした『劇場版SAO』。


 『劇場版SAO』はアスナさんの戦闘シーンが多く、戦闘スタイル的にもアスナさん激しく動くために、アクションで揺れ動く髪というのが本作の大きな見所となっています。ARでもVRでもいいからここに浸っていたいと感じさせる髪描写。かと思えばお風呂で髪を結ったり髪型を変えたりという髪描写も見ることができて大満足です。

 あとは女子力ヒロインと言うか、男を使える女性ですねアスナさん。途中で見せる戦闘でのマネジメントというか統率の鮮やかさは理想の上司に推したいくらいですし。恋人のキリトくんにしてもうまいことコントロールしていたり、何かと親に会わせようとして囲いこみしてきたり。加えて女性陣の中ではお姉さんポジションで優しく守ってくれるタイプ。ロングヘアー的な意味ではもちろん、キャラクターとしても十代の観客共が結婚したいヒロインナンバーワンも(たぶん)納得です。


 作品の感想も最後に書いておくと。劇場版というか『SAO』という作品に対して、いろんなところで「新しいテクノロジーの台頭は危険も大変なこともあるけど、わくわくに満ちていて、友達もできて、人を幸せにする」を感じました。映画館は十代で満ちていて、刺さるべきところに刺さっているジュブナイルだなと。
 AIとかウェアラブル端末とかディープラーニングとか。ニュースでよく聴きはじめた最新IT技術を子供たちが友達同士で遊びに使ってて、すごく楽しそう。そしてこれは夢物語ではなく、いくらかは既に現実化している、または近い将来可能となるレベルのものである事実が、より「テクノロジーは人を幸せにする」を感じさせます。

 ところが『劇場版SAO』ではこれまでVRで遊んでた仲間が突如ARにはまりはじめます。新しいテクノロジーがさらに新しいテクノロジーに移り変わっていくことに対して、次から次へ新しいゲームに人は流れていってしまう観客的にもリアルな問題に対して、『劇場版SAO』はテクノロジーを否定しません。

 「悪いのはテクノロジーではなく使う人」というような方向に流れていったのはありきたりかと思いましたが、『劇場版SAO』では「記憶」がとても大事にされていて、「人が場を移るのは仕方ないけど、思い出は残って、それが人と人を結びつけてくれる」というようなアンサーをなんとなく感じて。それはすごく良い答えだなあって。



 ちょうどいいタイミングでKindle版が安いのでこれから読みます。

ブログを書くときに意識していること2017

 2009年から漫画の感想などを書いてきて、ここ2年でやっとスタイルが確立してきたなと感じています。そこでブログ書くときに意識していることを書きます。誰かの参考になるかは分かりません。

 当然と言えば当然ですが最後まで読んでもらいたいと思っているので、そのために自分なりの工夫をしています。

 それは最後まで読ませるために、読み飛ばせる部分を作るということ。

 インターネット上で書いているからには、読む人はPCなりスマートフォンなりで読んでいるはずで、そうすると読む人はブログ文章を読むために画面をスクロールしていくわけですが、液晶画面で文字だけずらっと読んでいるのは少々辛いです。慣れてる人は全然平気なんですが、慣れてない人の方が圧倒的に多いでしょう。

 これが紙書籍でも同じで、するすると文章を読み進められてどんどんページをめくれる快楽というのは確かにあります。ページを読むのに時間がかかるのはストレスで、読むのをやめてしまう原因にも成り得ます。
 堅い文章や難しい考察を読むのに抵抗が少ない人であっても、インターネットでブログを読むのにそこまで気構えてくれるとは期待できません。

 そこで、あえて読み飛ばせる「文章以外のもの」を文章と文章の間に挟む、ということをやっています。
 たくさん画像を貼ったりやたら改行したりといったブログも同じような効果を狙ってのことと思いますが、そういうのは流儀ではないので、なるべくそれ以外の方法で。

 画像や改行以外にも、Amazon商品紹介やTweetリンク、ブログ引用リンクはぱっと見て読み飛ばせる(スクロールできる)ところです。ブログ引用リンクもリンクを貼ってはいますが、その記事を全て読んだ後ならまだしも、その場でリンク先に飛んで読んでくれる人は稀と思いますので、普通は読み飛ばしているものと考えています。

 だからこのブログでは、序文→Amazon商品紹介orTweetリンク→本文1→画像or引用リンク→本文2……というような流れが基本的なスタイルになっています。はじめにAmazonを置くのは表紙画像でイメージをもってもらえるからという意図もあります。Tweetリンクを置くのは端的に面白ポイントがまとまっており、本文の導入に使えると判断した場合です。

 2~3行程度の序文で読むのをやめてしまう人は少ないと見込んで、その次にすぐにスクロールする箇所を作ることで、とにかく本文まで誘導することを狙っています。

 最後まで読まない人がではどこまで読んでくれるかというと、最初の画面から全くスクロールしないで画面を閉じる人が大半でしょう。読む人はきっとどこかからのリンクで飛んできて、まず始めに文章しか画面に映らないとその時点で読む気が失せてしまいがちです。面白さが保証されている知名度の高い人や文章自体が面白い人であればまた違うのでしょうが、自分含め大多数はそうではないので。

 そのための「とにかく本文まで誘導する」です。一度スクロールすると本人の中で「読んだ」状態になるので、そのまま読んでくれることが(きっと)多いです。最初の画面から全くスクロールしないで画面を閉じるのは、「読んでいない」状態なので、とにかくこれを回避することが狙いです。

 本文は1~3行で1つの段落にして、改行プラス空白行挿入で次の段落へといった構成。改行が少ないと読み進めるのが遅くなるのと、どこを読んでいるか分からなくなってしまう方がいるため「ひとかたまり」を分かりやすくしています。

 この考えからすると本当は1行毎に改行したり空白行を入れたりする方が読みやすいのでしょうが、あまり文章規則を無視するのも流儀ではないので、中途半端な形に留めています。

 あとはいくら工夫しても本文を長くすればするほど最後まで読んでもらえる率は下がりますので、その場で一気に読める(時間ないから後で読もうと思われない)ラインということで、全体の文章は1000~3000程度に収まってるはずです。
 もっともこれは字数調整しているわけではなく、自分が書くと大体この程度に収まるというだけの話ですので、あまり工夫として意識しているものではありません。

 この工夫による効果がどれほど出ているものかは分かりませんが、少なくとも自分で読み返す分には読みやすいです。細かい拘りは他にもいくらかありますが、2017年現在ではこれが一番大きな意識している工夫です。

 ところでこの文章ではAmazon商品紹介やTweetリンク、ブログ引用リンクを全く貼っていないので、最後まで読んでもらいたい文章というわけではありませんが、最後まで読んでもらえたかは不安です。