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桜庭さんを尊敬するたったひとつの理由

 あなたがまだ桜庭さんを尊敬していないのなら、あなたは桜庭さんを尊敬しなければならない。あなたがすでに桜庭さんを尊敬しているのなら、あなたは桜庭さんへの尊敬が足りない。

 われわれは桜庭さんを尊敬しているのではない。桜庭さんを尊敬させてもらっているのだ。


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 『BE BLUES!』というサッカー漫画において、桜庭さんは美しく巧みな(名前も桜庭巧美)ボールさばきのフォワードとして登場する。埼玉の天才少年として小学校時代から主人公・一条龍と互角のライバルだ。


(表紙画像は現在の桜庭さん)


 そんな天才・桜庭さんであるが、高校生となった現在、所属していたユースチームには上がれず、公立の高校サッカー部に属している。

 その理由は大きく2つあり、第1にあまりにも自己中心的な性格ゆえにパスが出せないこと。第2にオフ・ザ・ボールの動きが悪いこと(パスを出してもらえるよう相手のマークを外したり、スペースを見つけたりといった動きをせず、棒立ち)。

 これはフォワードとして致命的な欠点で、ここまでで桜庭さんを尊敬できないと感じた方もあるかもしれない。

 だが待ってほしい。この2つの明らかな欠点があるにも関わらず、桜庭さんは大会メンバーに選ばれ、活躍している。サッカーにおけるフォワードに活躍とは点を獲ることだ。桜庭さんはパスを出さずとも棒立ちでボールを待っていても、点が獲れる。そんなフォワードだ。



 それは桜庭さんの圧倒的なテクニックによって、それだけによって成り立っている。

 桜庭さんはパスを出さずとも強固なディフェンスをくぐり抜けて一人でシュートまで持って行くことができ、またマークを外さなくともボールをもらいうけた瞬間に相手ディフェンダーを抜き去ることができるのだ。

 他の多くのスポーツ漫画を見ても、こういった突破力があり独りよがりになっているキャラクターというのは珍しくもなく登場する。
 ただ、そういったキャラクターはたいていフィジカルに恵まれ、パワーで突破する者がほとんどだ。

 桜庭さんはちがう。桜庭さんはスポーツ選手としてどころか一般的に見ても身長が低く、パワーもなくスタミナもない。足も速くない。すでに見た通り、本当に桜庭さんはテクニックだけで突破しているのだ。

 それではわれわれが桜庭さんを尊敬するべきは、もとい尊敬させてもらうべきは、この技術なのだろうか?

 それもちがう。

 先に他のスポーツ漫画の事例を出したが、そういったパワー型の選手も桜庭さんと同じ2つの欠点を抱えていることが多い。特に1つ目の「パスが出せない」はスポーツ漫画よくあるパターンと思う。フィジカルで強行突破し、チームメイトを見下していたキャラクターが自分だけでは突破できない壁にぶつかり、仲間を信頼してパスが出せるようになる。パワー型の選手はしばしばこうした道徳的なストーリー展開とセットで現れる。

 『BE BLUES!』というサッカー漫画において、桜庭さんは第1巻から登場しているが、それでは桜庭さんは上の2つの欠点をどのように克服したのだろうか?

 結論としては「2つとも全く克服していない」だ。桜庭さんは小学生の頃と同じようにパスが出せずオフ・ザ・ボールの動きもひどいままだ。

 パワーもスピードもない選手が、テクニックだけで強行突破し続ける。桜庭さんのプレーはロマンに満ちていたが、ここでパワー型の選手と同様、桜庭さんも一人では突破できない壁にぶつかる。


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 ただでさえスタミナに不安のある桜庭さんは今大会スタートメンバーとして出場し、案の定序盤こそ調子よかったものの、スタミナ切れに陥る。普段の強気な発言も出せないほどに息が上がり、グラウンドに座り込んでしまう桜庭さん。

 ついに桜庭さんにも2つの欠点を克服し、「成長」する機会が来たのか? 『BE BLUES!』前週までの展開は多くの読者がそのような感想を抱いたが、しかし桜庭さんは桜庭さんだった。
 イギリスがEU離脱しトランプ氏が大統領となり天皇の生前退位が決まっても桜庭さんは桜庭さんだった。


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 ゴール前に堂々陣取り、パスを求める桜庭さん(※はじめて見る方は驚くかもしれないが、これが桜庭さんのパス待ち姿勢である)。

 サッカーにはオフサイドというルールがあり、そこまでロングボールでパスを出すことはできない。困惑するチームメイトたち。

 そのとき誰かが気づいた。まさか桜庭さんは、自分のところまでボールを運んで来いと言っているのか……? 残りの体力で、確実にゴールを狙える位置に陣取って……? もう言葉を放つ余裕もないが、桜庭さんの目は本気だった(次週に続く)。


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 人はみな大人になるにつれ、自分を世界に合わせることを学ぶ。そしてそれを「成長」と呼んで納得し喜んでいる。しかしごくまれに世界を自分に合わせるようなことができる人間が存在する。

 桜庭さんを尊敬するとしたら、もとい尊敬させていただけるとしたら、そのテクニックを尊敬するのではない。パスを出さない。マークを外そうとしない。自分を世界に合わせようなんてしない。道徳的な物語に自分を押し込めようとしない。そのプライドをだ。桜庭さんは常にボールと尊敬を求めている。

 次週、桜庭さんのところまでボールを持って行けば必ずボールをゴールに入れてくれる。「成長」しない桜庭さんが、チームを勝利に導くのだ。


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2016年に読んだ漫画ベスト5



 ついついツイートしてしまったため(「つい」と「ツイ」をかけているよ)今年も年間ベスト漫画エントリーを更新するはめになりました。

 ぼくの場合1つをじっくり読んで咀嚼するタイプなので、ランキング形式で紹介するブログみたいなことはうまくできないな~とようやく分かってきたのですが。今年は世の中に流されず年間総括やまとめランキングはもうやらないぞ~と決めていたのですが。世の中いろいろあるものです。

 選出に当たって例年やっている完結作品と新規作品とそれ以外を別に枠を設けて選ぶ形式の方が本来正確なのですが、個人のランキングが正確である必要は無いし、忙しくて数読めてないから5選で充分だし、何よりもう選んでしまっているのでこれで強行します。

 イカ、よろしく順不同。




 今年の漫画はさておき、今年の漫画雑誌としては”あの”週刊少年サンデーが超面白くなってきた話題に尽きる。尽きるでのはないでしょうか?
 『だがしかし』や『競女』など目を引く(いろんな意味で目を引く)漫画がアニメ化し、新人育成に力を入れるという新体制の方針は一先ずうまくいっているように感じます。
 一つの作品が安定して面白い軌道に乗るまで、継続して連載できる人気を獲得するまでをリアルタイムに見届けるのってすっごく面白くて、漫画誌を読む大きな理由になっていますが、新人のちょっと変わった新連載が次々に出てくる今年のサンデーはそういう意味で本当に楽しかったです。

 さてサンデー新体制は新人育成だけではありません。かつてのサンデーを支えたベテラン勢も新規に連載を始めました。
 中でも『天使な小生意気』という、これで主人公が黒ロンだったら言うことなしの漫画を連載していた西森博之の新作は主人公が黒ロンで第一話からスタンディングオベーションでした。


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 黒ロンお嬢様と一般人では格が違いすぎるという、正しい黒ロン観から作られた『柊様は自分を探している。』は理想的な黒ロン漫画で、これが読めるのがこの一年の水曜日、最上の喜びでした。


  • 『じけんじゃけん』



 別に『だがしかし』が始まりと言うわけではないのでしょうが、『だがしかし』のヒットからやたらハイテンションで奇妙な趣味持ちのセクシーな先輩と戯れるショートギャグ漫画を目にするようになった気がします(ex.『手品先輩』)。

 『じけんじゃけん』もその一つで、ただその先輩が黒ロン黒セーラー、題材がミステリという点を持ってこのジャンル最強に推す一作です。このジャンルあんまり広くないでしょってのは置いといて。

 先輩が九州弁というところも味を出していて良いです。たぶん方言がないと上品すぎて変な趣味と合わせが悪くなるような気がしますし、それを含めて黒ロン黒セーラーのパワフルアクティブな先輩というキャラクターを描くのがめちゃくちゃ巧いです。

 黒ロン美人な先輩がばかみたいな子どもの遊びにつきあってくれる。むしろ率先して遊びだして自分がついて行くこのジャンルはきっとノスタルジーが売りで、だから中高生の頃あほほどミステリ読んでた人ほど、そして黒ロン大好きな人ほど『じけんじゃけん』を気に入るはずです。

 このジャンルにおける『だがしかし』のすごいところとして、ただの永遠の日常ショートギャグではなく、どこか終わりの空気を感じるところが、時にドキッとさせ、普段のギャグ回の読み心地にも影響するという技巧があるので、『じけんじゃけん』もショートギャグにもう一つ加えて化けてくれるともっとうれしいなあと思っています。ミステリだからどんでん返し用意するのなんかはどうでしょう。


  • 『響 ~小説家になる方法~』



 又吉直樹芥川賞。続く村田沙耶香の受賞作も純文異例のヒット。そしてボブ・ディランノーベル文学賞と、今年は純文学の話題が次々出てくる珍しい一年でした。
 こんなときに『響 ~小説家になる方法~』も芥川賞編をやっていたというのが何ともタイミングよく、毎週が楽しみな漫画でした。

 響という少女の絶望的な才能の描き方。登場する作家や同級生のキャラ立ち。

 そして何と言っても響を中心に動き出すストーリー展開。1巻2巻あたりからミスリードが巧い漫画でしたが、今年も一つ大きなトリックを仕込んできました。見事にだまされましたが、改めて見返すと読者が意識をそちら側には向けないよう、しかし存在だけははっきり示しているというフェアなミステリで、相変わらずミスリードが抜群に巧いです。


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 『ワールドトリガー』は大規模侵攻編が終わり、しばらくは日常パートの落ち着いた話が続くのかと思いきや、まさかの大規模侵攻編後の方が面白いというものすごさ。

 大規模侵攻編は現時点で最も強い敵と戦っていたパートであり、現在のB級ランキング戦編ではそれと比べればはるかに弱い相手と戦っています。ついでにB級ランキング戦編では味方サイドのB級隊員たちのチームバトルが主となっていますが、主人公たちは大規模侵攻編の前にすでにA級隊員との戦闘も経験しています。

 以上の事柄だけでも、インフレーションが止まらない週刊少年ジャンプのバトル漫画の中で『ワールドトリガー』が特殊な位置にあることが伝わると思います。
 加えて誠偽りない平凡主人公。基本的には汎用武器での戦い。手足がよく切れる戦闘。『ワールドトリガー』の特殊な要素はまだまだあります。

 現在のB級ランキング戦編がすごく好きで、チームバトルの新鮮な面白さ。多すぎるくらい多いキャラクターを決して多彩とは言えない絵柄で描き分ける(戦闘スタイルや性格、趣味、癖等で)技術。命のやり取りはなく、目的は別にある戦闘。バトルよりはスポーツに近い感覚で、とても『Splatoon』っぽい。

 緊迫感のないのほほんとした者もいれば、好戦的な者もいて、ドラマが薄い者もいれば勝たなければならない者もいる。強いやつが勝つというシビアな現実があり、その中の創意工夫があり、そういった努力をできない者もいる。ニュートラルな描き方のキャラクター群像劇には、はまればはまるほど面白い。




 少女漫画の界隈では超有名からは一歩下がる位置にいた咲坂伊緒も、今年は『アオハライド』・『ストロボエッジ』の映画化が決まり、堂々と看板を張るポジションに到達したと思います。
 その新作『思い、思われ、ふり、ふられ』は過去作と比べても飛び抜けて巧い。

 高校生4人を中心とした恋愛ストーリーで、主役の朱里と由奈が対照的な性格でありながら仲良くなり、互いに影響を受け合います。

 朱里は恋愛経験値が高い女子で、少女漫画の主役としては珍しいタイプ。朱里サイドの話はテクニックで恋愛を考えがちな朱里が想定外の恋に落ちていく様が本当に可愛いです。

 一方、由奈は自分に自信がなく、恋愛の経験もない一般的な少女漫画の主役タイプ。アクティブな朱里に憧れて一歩踏み出す由奈サイドの話は多くの共感を得られるところと思います。

 朱里に憧れて一歩踏み出した由奈の勇気に、今度は朱里が影響を受ける。相互に影響し合う2人の友情と恋愛の行方が非常に楽しみで、高校生のきらきらとした恋愛ストーリーがくらくら目眩のするくらい美しいです。

 ずっと少女漫画の感想テンプレートである「胸がキュンキュンする」って感覚が分からなかったのですが、『思い、思われ、ふり、ふられ』を読んではじめて分かりました。恋するキャラクターと気持ちが一致して、恋愛を疑似体験するってことなんですね。朱里の恋も由奈の恋もすごく応援してて、がんばれがんばれってなるし、読んでるこっちまで胸がドキドキしてきます。

『Life Is Strange』 何度でも選び直せる選択肢の重さ

 『Life Is Strange』をクリアー。もともと『ペルソナ5』をがっつりプレイできる時間を取れないから短い手軽にできるゲームを探していたはずなんですが、確かに短いけれどその代わりとんでもなく重いゲームでした。ゲームやって吐いたの初めてだよ。どうしてこうなった。



 『Life Is Strange』は時間ループ系のゲームです。プレイヤーはアメリカはオレゴン州の18歳、マックス・コールフィールド(通称:マックス)を操作します。物語の序盤、マックスは突如時間を戻す能力に目覚め、その能力を用い、旧友のクロエと一緒に街の謎を調べていきます。


www.jp.square-enix.com


 ですが『Life Is Strange』は上の説明から多くの人が想像するような内容のゲームではありません。多くの時間ループ系の作品とは趣向が大分異なります。
 要するに『Life Is Strange』は、みんなが幸せになる「true end」を掴み取るために何度も時間を移動するようなゲームではありません。

 『Life Is Strange』にはアドベンチャーゲームで言うところのバッドエンドや詰み、不正解の選択肢というものがありません。基本的にはプレイヤーはどの選択肢を選んでも、あるいは選ばなくてもゲームオーバーには至らずそのまま進められます。
 これは一見簡単そうに思えますし、ゲームとしては簡単なシステムと言って間違いありませんが、しかし精神的には全く簡単ではありません。

 例えばAという選択肢を取ることで誰かが死ぬことが分かったとします。
 プレイヤーはその誰かを助けるためにA以外のBという選択肢を見つけて、その誰かの犠牲を回避できます。
 ただ、前述の通り回避できなくてもゲーム進行上は全く問題ありません。その場合プレイヤーは自分が本来助けられるはずであった誰かを殺したという罪を背負って、その後もゲームを続けることになります。

 ここで2つの疑問が生じると思います。ひとつはその例で言えばBを選んでいれば問題ないし、多くのプレイヤーはそうするのではないか、というもの。もうひとつは名前もないキャラクターの無機質な死くらいで罪なんて大げさではないか、というもの。

 前者に関しては、Bという選択肢がその場ですぐに分かるものであれば、そうでしょう。ただ、『Life Is Strange』では「Aという選択肢を取ることで、誰かが死ぬことが分かる」のが数時間後・数日後、場合によってはエピソードを跨いでの判明ということもあります。当然、マックスの時間を戻す能力が届かない範囲です。

 後者については2つあり、まず『Life Is Strange』で死ぬのは名前のないキャラクターだけではなく、かなり主要な、マックスの身近な人間も死にます。そしてその人が死んでもゲームオーバーとはならず、進行上は問題ありません。
 そしてもう一つは、例え名前もないキャラクターであっても無機質な死に感じさせない、『Life Is Strange』のエモーショナルな細部の造りがあります。

 『Life Is Strange』においてプレイヤーはマックスを操作して事件を調査することになります。プレイする中でプレイヤーはマックスの性格をよく知ることになり、マックスとして行動することになります。

 探索の中でマックスは周りのいろいろなものに興味を示し、時には茶目っ気あるコメントをしたり、時には勇気を出していじめを阻止しようと努めます。
 探索パートだけではありません。ムービーシーンでのマックスの発言・行動。マックス視点から映る街の情景描写。心情を表すような音楽。探索中に確認できるSNSでのやり取り。いつも付けている日記の内容。それら全てがマックスの性格や周りの人間との関係を知る情報です。
 こういった情報を知れば知るほど、プレイヤーはマックスであればどう行動するか? マックスにとってどういう意味のある選択かを考えるようになります。なってしまいます。

 メタ視点にいるプレイヤーとしては名前もないキャラクターの死であっても、マックスにとっては目の前の人間の死です。そのマックスが、「わたしのせいでこの人が死んでしまった……」とコメントするのです。まあ、普通の人なら時間を戻して助けるでしょう。

 そうしてプレイヤーは時間を巻き戻すことで助けられる人たちを助ける、助けようと思います。それはおそらく『Life Is Strange』以外のゲームではプレイヤーが取らない行動、抱かない想いです。そしてそれを生じさせるのが『Life Is Strange』の大きな狙いです。

 『Life Is Strange』において常に助けられる人を助けようとしてきたプレイヤーは、ある重要な局面で、本来助けられるはずだった犠牲者がいたことを知り、また助けようとしても助けられない人に出会います。
 それまで時間を巻き戻すことで上手くやってきたプレイヤーは、そこで自分の選択の愚かさや自身と時間能力の無力さに直面し、そしてそれでもゲームは進行します。これが『Life Is Strange』の精神的に簡単ではない、つまりはつらいところです。

 『Life Is Strange』は多くの時間ループ系作品のように、大がかりな仕掛けや大胆なトリック、意外な犯人といったミステリ的な要素が売りのゲームではありません。むしろある程度この手のゲームをやってきた人にとっては、似たような展開は既に目にしているようなものと思います。20時間足らずでクリアーできる長さのため、内容的なボリュームも長さを活かした仕掛けもありません。
 しかしそうした時間ループ系作品としての面白さが不足していても、そのおかげで、『Life Is Strange』は選択肢の重さが他のアドベンチャーゲームと比べて圧倒的に重いです。

 『Life Is Strange』日本語版のキャッチコピーは「人生は選択肢だらけ でも もし 選び直すことができたら」です。選び直すことができたら。この後に続く言葉に、マックスもプレイヤーもはじめ希望を見出します。
 しかし上に書いたようなゲーム体験から、次第に、徐々に、「選び直すことができても……」と思うようになります。

 true endを用意しなかった『Life Is Strange』は最後の最後、選択肢も与えてくれません(エンディングの静かなこと!)。そしてゲームは終わり、「Life Is Strange」というゲームタイトルへとプレイヤーは戻ってきます。そしてそこから先の選択はマックスに、プレイヤーに任されていることを悟ります(今ここ)。

今週のマガジンに『スクールランブル』最終回が載っているという話

 今週の週刊少年マガジンに『スクールランブル』番外編が載っています。8年ぶりに帰ってきたスクランの、これ以上描くと蛇足になるめいいっぱいの事実上最終回であったと思います。


natalie.mu


週刊少年マガジン 2016年53号[2016年11月30日発売] [雑誌]

週刊少年マガジン 2016年53号[2016年11月30日発売] [雑誌]


 スクランは高校生の頃に読んでいた漫画で、作中のキャラクターと同年代であったこと。また当時のメジャーどこ少年誌ラブコメでは珍しく露骨な男性向けエロ描写のないことから、「スクランはギャグ漫画だから」というエクスキューズを持って俺たちが堂々と読めるラブコメであったと記憶しています。

 スクラン最終回(あえてこう呼ぶ)は、6ページしかなく、内容は本当に大したことない。

 沢近たち元2年C組の女子が、何度目かの同窓会で久しぶりに集まる。高校生の頃を振り返って、「あの頃はよかったね~」みたいに話している。それぐらい。
 でも会話の端々から感じられるのは、あの頃はよかったとい言いながら、今もあの頃と同じようなことをやってるんだな、ということ。
 大人になって立場や環境が変わって、また行動範囲が広がって、言動が大人の振る舞いの枠に移っただけ。本質的には彼女たちはあまり変わっておらず、まだ同じようなことを続けているように見えます。

 それはいつまでもスクールなランブルをぐるぐる回っている俺たちに、大人になってからも形を変えて同じようなことはできるし、やっていていいんだよと語りかけるかのよう。

 中高生が主役になることの多い日本のフィクションはモラトリアムな問題を抱えていると指摘されることもあるけれど、だからこそスクランのような永遠のスクールライフコメディの作品で「大人になってからも楽しいよ。あの頃があったから今幸せだよ」と言ってもらえるのはとてもすてきなことだと思う。俺たちもきっと、スクランを読んでいた日々があったから今があるし、そう思えるのは幸せってことなんだ。


今週の黒ロン:『星野、目をつぶって。』

今週の黒ロン

 今週の『星野、目をつぶって。』が髪ってる。髪ってます。



 『星野、目をつぶって。』はスクールカースト高校生活ものにラブコメ要素を加えたような漫画。充実した高校生活を送る同級生へのひがみやっかみから斜めに構えてしまう少年・小早川と、人気者グループの中心人物にして正義感と行動力あふれる女子・星野。同じクラスにいて関わることのなかった2人が、ひょんな出来事をきっかけに行動を共にするようになり、互いに影響を受けていくストーリーです。
 現在は2人の他にも仲間(?)が増えており、いろいろな人との関わりやイベントの中で徐々に2人が変わっていく、その「徐々に」という過程が本当に良く、週刊誌で漫画を追うことの楽しさを毎週感じています。

 作中において重要なキーとなっているのが「メイク」で、そのためにこの漫画ではメイクした人とメイクしていない人(きれいな人と地味な人)が分かりやすく描き分けられているのが特徴です。1巻と2巻の表紙を見比べるとよく分かります。



 瞳や睫毛の描き込みから、目鼻立ちがはっきりしてるのが美人顔、平坦でのっぺりしているのが素朴な顔というリアルな感覚が漫画に落とし込んでデフォルメされており、対比が分かりやすいです。余談ですがこの漫画の感想でメイク前の顔もかわいいじゃん!と言う人がけっこういますが、漫画的にデフォルメされた結果のかわいさなのでちょっとジャンルが違う話かなーと思っています。

 さて、そんな『星野、目をつぶって。』も今週から新章突入。
 今まで2人を主導していた大人が一時離脱し、さらに新たな人物が登場することで思わぬトラブルをもたらす予感の新展開です。
 ここで『星野、目をつぶって。』が投入したのはまさかの黒髪ロングストレート。


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 「まさかの」と言ったのはこの漫画の主要な女性キャラクターに、現在ショートカットが一人もいないということ。そして黒髪ロングのポジションにはすでに松方さんという女子がいること。それらを併せてタイミングもまさかです。
 「スキあらば黒ロンっすよ!」とは言うものの、ここで黒ロンを出すスキを見出せた人がどれだけいるのか……。正直ぼくも読んでて「え、ここで!?」と驚いたくらいですし。

 予想外の登場でしたが、ここで黒ロンを出す判断は全力で支持。そしてこれは、メイクをキーとしたキャラクターの描き分けがはっきりしてるこの漫画で、はじめて「元々の素材が良い美人」の登場という気がします。
 「人形みたい」という初見の感想や、どうやら校内で有名らしくモデルかアイドルか何かの設定がありそうなこと。育ちの良さそうな外見とそれに反してずかずかとしたぶっきらぼーな話し方からそれが察せます。

 オーラの絶対量が違いすぎて引用画像だけでも素人目に格の違いが分かるレベルですが、ぜひキャラクターの描き分けが意識されているこの漫画の中で確認してもらいたいと思います。

フィクションにおける兄・姉という立場 ~黄前姉と宮森姉~

 現実に自分が兄であり弟であるという立場を持つことと関係があるのかもしれないが、最近フィクションにおける兄・姉といった立場に注目している。

 少年誌掲載のバトル漫画において主人公がその兄弟と敵対していた場合、9割以上の確率で主人公が弟(兄が敵)という図になることを、幼い頃ぼくの兄は不服だったらしく、そうならないのは皆川亮二『ARMS』の高槻兄弟くらいだという話を聞いていた(まあ『ARMS』も「俺はお前らの兄」と言ってたキースを倒してたが)。

 少年誌掲載のバトル漫画において兄が敵対しているのは、年上で精神的身体的に自分より成熟した人間の語る正義やその選択が必ずしも正しいわけではないという読者へのメッセージがあるものと思われる。

 これはバトル漫画に限らず、と言うかファンタジー世界観でない漫画でこそ、フィクションにおける兄・姉といった立場は重要である。

 同じ血筋や環境で育った年上の人物が通る道。それはもしかしたら主人公が通るはずだったもう一つの道であり、そしてもしかしたらこれから主人公が通る道となるかもしれないからだ。よく「ラスボスは主人公の裏」と言われるのと同じ理屈だ。



 『響け!ユーフォニアム2』第8回「かぜひきラプソディー」では主人公である黄前の過去エピソードから姉との関係、姉の現在にフォーカスを当てる。

 黄前姉は親に言われるままの道を通って、吹奏楽部をやめ、大学へ進学した。本当は中学の頃からずっと美容師になりたいという夢があったが、それを我慢して。

 一方、第8回では主人公である黄前の過去にもフォーカスを当てている。黄前が吹奏楽を始めたのは姉に憧れてのことで、もともとは姉と同じトロンボーンをやりたかったが、環境的な要因からユーフォニアムをすすめられ、やりはじめる。姉が吹奏楽をやめて、なんとなく続けていた部活動で、高校でも周りのすすめもあってなんとなく入部した吹奏楽部で、意図せず全国大会を目指す厳しい部活動へと環境が変わり、部内の対立や様々な部員との関わり、その中で黄前は部活動や吹奏楽ユーフォニアムに対する自分の気持ちを少しずつ固めていく。

 さて、この選択の中にどれほど黄前の意思が働いているだろうか?

 本当はやりたいことがあったのにその気持ちにふたをして、親に言われるままの道を進んでしまった黄前姉。本当にやりたいことなんてなくて、周りや環境がそれを強いてきて、その道を通るうちに納得を得た黄前。

 両者は外から見ればどちらも周りに言われるままに進んでいるようで、今現在その道に納得できているかという点で決定的に異なる。

 黄前姉が今になって「本当は吹奏楽をやめたくなかった」「本当はずっと美容師になりたかった」と言い始めるのは、吹奏楽を一所懸命に続ける黄前の姿を見ての影響も大きいと思われるが、その今更さを他ならぬ黄前から糾弾されてしまうのが悲しい。そしてその悲しさやつらさは黄前姉が言うように黄前には分からないものだろう。

 しかし黄前姉の目にはやりたいことをやり続けていてうらやましく見える黄前も、別に吹奏楽がやりたいことだったわけではなく、なんとなく選んだ道で徐々に意思を固めたという経緯は、黄前姉にも分かっていないところだと思う。

 両者の選択のどちらが望ましいのかは不明で、ただ未成年の自由な選択には親という大きな障壁が存在し、その状況下でぼくらは選択し生きていく必要があった事実を思い出させる。



 アニメ制作の現場を描いたアニメ『SHIROBAKO』においても主人公である宮森の姉が作中に登場する。
 立場的には同様に主人公のあるはずだったもう一つの道を表す人物のようだが、『響け!ユーフォニアム』と比べると『SHIROBAKO』における姉の描き方はいささか異なる。

 地方の実家住まいで地銀勤務である宮森姉は、前半の数話で東京に一人暮らしをする宮森の家に突然訪問してすぐに去って行き、その後はほとんど登場しない。ここで『響け!ユーフォニアム』のように宮森と姉との過去エピソードや宮森姉の現在に大きなフォーカスが当てられることはない。ただ、大変でもやりたいことをやっている宮森に対し、地方でつまらない毎日を送っている宮森姉という対比はあり、宮森姉が親の意向に沿って道を選んだことは確かである(実際、宮森も地方の短大へ進学・卒業している)。

 宮森姉が語る彼女の日常はつまらない。そのつまらなさはおそらく黄前姉の感じるつまらなさと同じである。ここで同じように親の言われるままの道を行く宮森姉と黄前姉の違いはなんだろうか?

 それは黄前と黄前姉の違い同様、本人の納得である。

 黄前姉にはもともと美容師になる夢があり、それを我慢してきたという不満がある。宮森姉はそういった明確にやりたいことがない(その点ではむしろ黄前と共通している)。今の仕事はつまらなくて我慢しているが、仕事とは別に楽しさを見つけ、なんとか毎日を送っている。

 宮森姉はなんで仕事をやめないのだろう?なんで実家を出て上京しないのだろう?とは、『SHIROBAKO』を観た多くの人が疑問に思うところだろうが、個人的な解釈としては宮森姉は宮森に夢を託しているように感じる。
 特にやりたいこともなく、親の言うままに進むことに黄前姉ほど不満のない宮森姉は、現在の生活がつまらなくてもそこから飛び出すほどのモチベーションがない。そうした働き方を否定して宮森のようにやりたいことをやるべきだという一部の就活サイトや自己啓発本的な(偏見)訴え方をしていないのはお仕事アニメとして『SHIROBAKO』の良いところと思う。生活のために働く多くの人のおかげで世の中は成り立っている。
 「夢」のない宮森姉にとっては、「夢」を抱く宮森が美しく見え、宮森を応援することで自身の「夢」の代わりとしている、のではないかと考えている。(※ここで言う「夢」の解釈は橘田いずみ語録を参照)


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 自分が親の意向に沿う代わりに宮森を東京へ送り出したという、親との交渉エピソードが宮森姉にはあるはずだということまでぼくは予想している。

 別の道を行った黄前につらく当たる黄前姉とは対照的に、宮森姉が宮森に優しく、昔から今まで宮森を励ましていることからも、それがうかがえる。宮森姉。めちゃくちゃ良い姉だな~とは『SHIROBAKO』観た人はみんな思うはずだ。

 主人公のあるはずだったもう一つの道を示す兄や姉の登場は、より主人公の立場や選択を明確にし、話の深みを増す。そして同じ環境で育ち、物語に関わらないところで別の人生を送っている人間がいることは話の広がりも増す。

 姉の人生をオープンにして主人公との違いを明確に出した『響け!ユーフォニアム』は前者で、物語の深みを増している。姉の人生をほとんど語らず存在だけ示した『SHIROBAKO』は後者で、物語に組み込まれない人物の登場が物語の広がりを増した。

 少年誌掲載のバトル漫画において兄が敵対する図式と同じく、親の言われるままに進む姉とそうではない道を行く妹という対立はひとつのフォーマットになりえるのではないか。今後も上の2つとは異なる興味深い作品の登場を期待している。

 ところでぼくは今、年齢的に近い兄や姉の立場でフィクションを見ているためにこういった感想が生まれるが、そのうち親の年齢に近くなったら、一人目の子は保守的な育て方を強いてしまい失敗するというような親の立場での見方もできるのかもしれない。そうなったらフィクションにおける親の立場にフォーカスを当てた作品を好むようになるのかもしれないが、まあそのときはそのときなので今は知らない。

2016年の「橘田いずみ語録」感想

 宇都宮餃子祭り2016。その後のディナーパーティーとして『橘田いずみ餃子リサイタル2016 ~私はラー油でありたい~』という、実際行った人にしか意味が分からないタイトルのイベントが催された。


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昨年のレポートはこちら。


 参加者200名に満たないこのイベントは、リサイタルである以上に、発信力の強い、メッセージ性の強いイベントであった。本稿ではこれが200名弱にしか届かないのはあまりに惜しいと考え、その一部を紹介する。


 その日、会場では橘田さんの制作した日めくりカレンダーが全員にプレゼントされた。
 恥ずかしながらぼくは日めくりカレンダーというものを初めて見たのだが、どうやら日だけが1日1頁に書かれたカレンダーで、毎日めくることで日の確認ができる。そして(月の記載がないために)翌月も翌々月も一年間ずっと使うことができるといったもののようだ。

 その日めくりカレンダーには日の他に、橘田さんの過去の発言や想いといった言わば「橘田いずみ語録」が書かれている。これを毎日めくって見ることで、ファンの方々に楽しい日もつらい日も1年過ごしてほしい、といった内容のものだ。

 さて、このプレゼントはただ配布されただけではない。『橘田いずみ餃子リサイタル2016 ~私はラー油でありたい~』ではリサイタルに先立ち、けっこうな時間をかけてこの日めくりカレンダーに書かれた「橘田いずみ語録」の解説がされた。

 一応、カレンダーには言葉だけでなくその解説めいたものも添えられているが、そこに書かれた想いをファンのみんなに直接伝えたいといった橘田さんの想いからされたことだと思う。

 日めくりカレンダーなので31の「橘田いずみ語録」が収録されているわけだが、さすがに全て転記するわけにはいかないので、特に強いメッセージを感じた4つを紹介する。(※「たぶんこんな意味」は、説明を読んだり聴いたりした中で、自分が読み取った内容)


  • 「人生は一度きりじゃない」

たぶんこんな意味:「人生は一度きりなんだから迷うな」みたいなことをよく言うけれど、「人生は一度きり」なんて言われたら逆に失敗がこわくなって何もできなくなる。「人生は一度きりじゃない。間違ったらまた来世でがんばればいっかー」くらいの心持ちの方が、いろいろなことに思い切りチャレンジできる。していきましょう。

  • 「夢を追いかけている人がすごいわけじゃない」

たぶんこんな意味:「夢に向かって一生懸命な人はステキ」みたいな世界観には懐疑的。おそらくこの文脈の「夢」というのが非常に範囲の狭い目標のことで、こうした言説ばかりが広まると「夢」がない人は「自分も何か「夢」を探さないと」などと不安になってしまう。夢なんて何歳になってできるか分からないし、それからがんばっても決して遅くない。そして夢は「夢」なんかよりはるかに広いはずで、見つけた夢が「夢」と比べてどんなに小さくたって素晴らしい。生きていればきっと、今はなくてもいつか、社会的にステキなものと認められているような「夢」でなくても、自分にとって本当に大切な夢が見つかるはず。だから「夢」を追いかけている人がすごいわけじゃない。生きているだけで、すごい。

  • 「逃げることは悪いことじゃない」

たぶんこんな意味:うまくいかない人に対してよく「がんばれ」と言われるけれど、がんばれがんばればかりでは押しつぶされてしまう。時には「逃げることは悪いことじゃない」と、逃げる選択肢を提示してあげることで、戦うことばかりに目が行って視野狭窄になっていた頭が楽になり、冷静に俯瞰して考えられるようになる。会場では実際に逃げることを考え出したらその方が大変だったので戦えるようになったという本人の体験談も併せて話された。
(※ここ数年いじめ問題等に対して似たような発言をする著名人も見るようになったが、橘田語録の独特なところとしては、実際に逃げるのをすすめているわけではなく、今まで頭になかった逃げるという選択肢を与えることで「視野を広げる」ように誘導しているところにある、と思う。)

  • 「私はラー油でありたい」

たぶんこんな意味:ラー油は酢や醤油のように定番で入れるものではないが、たまにほしくなって、入れると味にはっきり影響が出る。その味を絶対に受け付けない人もいれば、すごく好きな人もいる。誰にでも好かれる人間になんてなれないから、誰かに好かれる人間であればいい。ラー油のように。
(ここでまさかディナーショーのタイトルにちゃんとした意味のあったことが判明)


 以上。

 全体を通して「世の中こういう風に言うけどそれは間違っている」といった独自な感覚論の展開が多く、それが強いメッセージ性を伴うことで、社会になじめない子たちへアンチきれいごとなメッセージを提供していた西尾維新舞城王太郎といったメフィスト作家たちのような印象を受けた。


 この日めくりカレンダーにはこういった名言ばかりでなく、「もっとミルキィホームズ橘田いずみにお金を落として(意訳)」みたいな正直すぎる言葉も載っている。
 しかしそれすら正直すぎる本音をオープンにした上で話したいという真摯な姿勢が感じられる。建前ばかりの大人なんて信用できないから、自分が信用できないで育った人間だから、大切なことを話す際にも本音をオープンする。そこまで意図していたかは別にして、橘田さんからはそういった印象を受けた。

 繰り返すがこのカレンダーはただのプレゼントではなく、会場でひとつひとつ語録が読まれ、本人から解説された。つまりこれは強い、とても強いファンへのメッセージである。
 おそらく普通のアイドルイベントであれば「私たちはこれからもっともっとがんばります。だからこれからも応援よろしくおねがいします」と、せいぜいが「そんな私たちの姿を見てファンの方々も日々の活力を得てください」が加わる程度だと思う。

 それがこんな具体的で強いメッセージとして発信されたのが驚きであるし、さすがにキャリアある人だと納得も感心もするし、そして「こんな大人になりたい」とも思わされた。


大人像と言えば『惑星のさみだれ』。


 このディナーショーや餃子祭り、その他の橘田さん企画イベントを見ても下手したら赤字ではないかと心配するレベルで、じゃあなんでこんなことやってるのかと言えば、「やりたいから」「好きだから」。加えて世の中に餃子の良さ百合の良さを発信していきたいのと同じように、ファンに対してもこうしたメッセージを伝えていきたいということなのではないか。

 そう気づかされるとともに、『橘田いずみ餃子リサイタル2016 ~私はラー油でありたい~』は、橘田さんがわれわれファンにとってのラー油であるように、自分も誰かにとってのラー油でありたいと。そう思わされるイベントであった。



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