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『BE BLUES!』を読んでいない人のための『KICKS』(と桜庭さん)解説

 『HUNTER×HUNTER』が休載決定でもう終わり? いやいや俺たちには桜庭さんがいるだろ!!!


(桜庭さん(表紙))


 とゆーことで週刊少年サンデー絶賛連載中のサッカー漫画『BE BLUES!』に桜庭さんが出てきましたよ。

 現実時間にしてなんと8か月ほどまともな活躍の無かった桜庭さんですが(ベンチにはいた)、ここにきてまさかの途中出場。そのリアルタイムな騒動は、サンデー読者にとって桜庭さん1人が『HUNTER×HUNTER』に匹敵する存在であることを再確認させてくれました。

 さて週刊少年サンデー本誌の展開もさることながら、桜庭さん大好きクラスタにとってもうひとつ朗報があります。テレビドラマ『重版出来』の公式サイトにおいて、『BE BLUES!』の著者・田中モトユキ先生が、作中の雑誌に掲載された作品という設定で『KICKS』という漫画を描いているのです。


www.tbs.co.jp
(上のリンク先が『KICKS』無料公開ページになります)


 これがまるで桜庭さんが主人公のような漫画でものすごいので、タイトル通り『BE BLUES!』を読んでいない人に向けて『KICKS』(と桜庭さん)のすごさを説明します。

  • そもそも『BE BLUES!』とは?

 埼玉の天才少年と呼ばれた一条龍が小学生のときから始まり、日本代表を目指すサッカー漫画。現在は高校編で、ユースのチームではない、公立の強豪校から「上」を目指しています。
 場面場面でキャラクターの活躍にスポットを当てるタイプのスポーツ漫画とは異なり、試合全体が分かるような描写がされている(誰がどこにいて、どうパスがつながったか等)のが特徴。あまりサッカー見ない自分が言っても説得力皆無ですが、リアルなサッカーの試合映像を採り入れた漫画と思います。

 あまりキャラクター色の強い漫画ではありませんが、試合全体を描いている関係で、主人公だけでなくその周りのライバルやチームメイトの活躍もたくさんあり、キャラクター人気も強いです。特に桜庭さん。


  • そもそも桜庭さんとは?

 『BE BLUES!』における龍のライバル役。小学生の頃から龍をライバル視しており、身体能力は低いが技術が半端なく高い。
 特徴としては「パスを出さない」(自分で得点できるandしたいから)、「マークを外す動きをしない」(マークされてても得点できるandしたいから)、「常に尊敬を受けたい」(性格的に褒められることがないand褒められたいから)などなどあります。

 漫画においては(あるいは社会においては)、いくら個人の能力が高くても高圧的で自分勝手な選手は出る杭打たれる宿命にありますが、そんな中で桜庭さんがすごいのは、単行本にして既に10巻以上続いている高校編において、いや1巻初登場の小学生だった頃から比べても、何の「成長」もしていないところです。*1

 性格的にもプレースタイル的にも問題がある桜庭さんは、そのせいで敗北を喫したりチームにトラブルを起こしたりしています。そうして物語は桜庭さんの矯正に動き出し、幾たびと彼にパスが出せれば簡単に解決できる成長のきっかけを作りますが、そのたびに桜庭さんは与えられた模範解答以外の方法でその状況をクリアーしていきます(尊敬しかない)。

 結果的に桜庭さんは、今まである特殊状況下でパスを出すこともありましたが、基本的なプレースタイルと性格は維持したまま現在に至ります。

 働き初めてすっかり丸くなってしまった方にも、あのころの尖っていた自分をもう一度思い出してほしい。そう、桜庭さんの活躍を見ることで……。サンデー読者はいつだってそうやって生きてきました。

  • これまで何が起きていたのか?

 桜庭さん不在期間、サンデーには新編集長が就任。大規模な改革を宣言し、新体制へと移行しました。まずは『だがしかし』がアニメ化で一気に知名度を上げ、新しい連載陣もなかなかに好調です。ベテランの藤田先生・西森先生も久し振りに戻って来て、驚くほどにどんどんおもしろい雑誌になっています。
 ただ、桜庭さんがいなかったんだ………。

 桜庭さん不在期間、『BE BLUES!』では新しく外国人の監督が就任。新体制となったチームは、監督の意向を汲めず戸惑いますが、龍の機転もあって一転。新戦術を軸に大量得点で勝ち進みます。
 そんなとき強敵が立ちはだかり、試合は一進一退の攻防が続きます。その中で体制の変化についていけないでいたエースの活躍や通訳として言葉以上に監督の意向を伝えるマネージャーの成長など、色々な面から試合を見せていました。
 ただ、桜庭さんがいなかったんだ………。


  • 『KICKS』の何がすごいか?

 やっと『KICKS』の話に入れます。『KICKS』の何がすごいかと言うと、これが『BE BLUES!』の龍と桜庭さんのポジションを入れ替えた漫画ということです。それはサッカーのポジションという意味ではなく、漫画における主人公の位置に桜庭さんが置かれているという意味です。

 キャラクターの立ち位置入れ替えという公式同人誌的な遊びは、他の漫画でも単行本のおまけとしてたまに見ますが、桜庭さんが「俺様を尊敬しろ」が口癖なくらい常に尊敬を求めている情報と併せて読むと、この入れ替えが実にぴったりで楽しいのです。

 『KICKS』1P目。左の女子が龍の幼なじみでちょっと男勝りですが龍に対しては献身的で尽くしてくれる胸が大きな現在は高校サッカー部のマネージャーです。言うまでもなく龍のことが好きです。
 右の女子が一度サッカー部へ見学に来て大騒ぎになったほどのハーフ美少女。フィギュアスケート界のホープで、龍のプレーを見てファンに。現在は龍の追っかけ。言うまでもなく龍のことが好きです。

 『KICKS』3P目。黒髪ポニーテールの女子はサッカーとは何の縁もなく生きてきましたが、英語が得意なことから新監督の通訳としてチームに加入。長身でスタイルもよく、凛々しい印象からクラスでも人気で、本人もはじめこそ体育会系なノリを嫌っていましたが、現在は言うまでもなく龍のことが好きになり始めています。

 と、ここまで説明してきたのは『BE BLUES!』の話で、『KICKS』では上に書いた龍の箇所が全て桜庭さんに置き換えられています。

 これを読むと桜庭さんがずっと求めている尊敬や称賛を受けているのが龍で、桜庭さんがたびたび龍に突っかかるのは、龍が桜庭さんの求めているものを持っているからかと推測できます。
 しかし実際、桜庭さんは龍のようには生きられません。『BE BLUES!』と合わせて『KICKS』を読むことで『KICKS』には全く描かれていない、桜庭さんの孤独と哀しさとそれを上回る圧倒的な強さを、浮彫のように感じられるのです。

  • ついでに本誌の展開について

 現在、週刊少年サンデー本誌では、これ以上ないくらいに桜庭さんが称賛を浴びています。ついに時代が桜庭さんに追いつきました。
 『BE BLUES!』という漫画は龍の不屈の精神が周囲に影響を与え、一度挫折した人々を良い方向へ持っていくところがドラマとしての醍醐味ですが、今回は桜庭さんが龍の信念である「決めるべき時に決めてみせる」を実現して見せ、今度は龍に刺激を与える新展開となっています。読もう週刊少年サンデー


*1:念のため補足するとぼくは桜庭さんが成長していないとは思っていません。チームメイトと信頼関係を築くのは確かに成長ではありますが、それはひとつの成長でしかなく、それ以外にも選手として能力を伸ばす道はいくらでもあります。それなのに協調性のみを指して「成長」しろと矯正する社会を皮肉った、また道標なき世の中において与えられた道を進むのではなく、自分の頭で考えるということを教えてくれるのが桜庭さんというキャラクターという見解です。ですので正確には、桜庭さんは成長はしているが、社会に迎合した「成長」はしていないというスタンスです。このまま続けてほしいところです。

今週の黒ロン:『小説の神様』

今週の黒ロン

 アニメ制作を主題にしたテレビアニメ『SHIROBAKO』に平岡というキャラクターがいます。
 かつてアニメ制作に夢を抱き熱心に取り組んできた平岡は、業界の理不尽な現状に直面し、経験は積み仕事はできるが雑にこなすだけの状態になって現れます。業界に失望しながらもその業界から離れられない。矛盾した中途半端な立場でいて、そのことも自覚して、平岡は『SHIROBAKO』という物語に登場します。
 『SHIROBAKO』の主人公で入社2年目の宮森は、熱心に良いアニメを作ろうとがんばっており、そのために平岡とは度々対立します。平岡はそんな宮森を、業界に夢を見過ぎているだけで、いつか自分と同じように失望するだろうという風に見ています。


 『小説の神様』の主人公・千谷一也もはじめ、この平岡のような状態で登場します。


小説の神様 (講談社タイガ)

小説の神様 (講談社タイガ)


 中学生で作家デビューし、文章力の高さを評価された千谷は、しかしそれ以降は苦戦。出版不況も重なってか年々部数は減り続けています。薄っぺらくてつまらないと感じた小説ばかりが売れていて、自分の作品は酷評されるだけ。自信と意欲を失った千谷は「小説に力なんてない」と思うようになります。

 物語はこの千谷が、同じく高校生作家の小余綾詩凪(こゆるぎしいな)と共作を出す企画から動き出します。小余綾は千谷と異なり人気作家で、小説に対し冷めた見方しかできなくなっている千谷と度々対立をします。曰く、「私には小説の神様が見える」。

 千谷は小余綾との共作を進める中で、徐々にかつての小説に対する熱意を取り戻し始めます。『小説の神様』は千谷を小余綾を通して、「物語とそれを創る意義」を描いています。


 主人公の造形について。作中、千谷は「自分に自信のない失敗ばかりする主人公なんて今の世の中では受け容れられない。もっと万能で見ていて爽快な主人公造形が必要だ。実際そういうものが受けている」ようなことを言います。
 『小説の神様』ではこれに対し、それでも悩み失敗しながら勇気を持って進む主人公が必要だという方向に進展します。そして実際、『小説の神様』も千谷という、弱く脆い主人公が歩み出す話となっており、メタ的にこの説得力を強めます。そのメタ構造にはもう一つ上があり、それは著者の相沢沙呼先生自身です。

 相沢沙呼さんは鮎川哲也賞を受賞してデビュー。『小説の神様』の主人公と同じく文章の巧さを高く評価された方です。ミステリ界からのデビューですが、ミステリに限らず漫画原作やライトノベルなど、広くエンターテイメントに関わっています。
 しかし商業的には厳しい状況であることをtwitterなどでは発言しており、いち読者としては正直不安でした。

 千谷の置かれた状況は相沢さんとかなり重なるものがあり、『小説の神様』という物語の願いを通して、相沢さん自身も千也のような状態から抜け出すことができ、それにより作中で訴えられる「物語とそれを創る意義」がより説得力を持てたのだと思います。

 『小説の神様』は上述の通り「物語を創る意義」を大きなテーマとしていますが、冒頭で例に出した『SHIROBAKO』と同様、より普遍的な「働くことや自分の仕事の意義」としても受け取ることが可能です。

 それは『小説の神様』で書かれる(おそらく相沢さんの体験に則した)今の商業作家の厳しい現状がとてもリアルで、現実感を持ってその悩み苦悩が読者に伝わるからです。作中でも小説はウソを書くんだから取材なんて不要という話が出ていましたが、現実的とは別の意味で、キャラクターの気持ちを親身に感じるには、その置かれた状況をよりリアルに書くことが必要なのだと、『小説の神様』を読んで思いました。



 さて今週の黒ロンらしい話もしておくと、相沢さんはデビュー以来、黒髪ロングストレートでSな性格の美少女ヒロインを好んで描く方です。



 『小説の神様』の小余綾もまた黒髪ロングストレートでSな性格の美少女ヒロインです。
 高校生で人気作家で、誰もがはっとする美少女。自信に満ちたアクティブな振る舞い。千谷に対してキツく当たるのも誰より小説の可能性を信じた真摯さ故で、理由のないSな言動が苦手な読者にも受け容れられるものと思います。

 『小説の神様』は登場人物こそ高校生のお話ですが、内容的にはお仕事ものです。
 それでも高校生をメインにした理由はいくつかあるのでしょうが(日本のフィクションは中高生ばっかみたいな話、ちょっと前にもありましたね)、個人的には「思春期の男子高校生的な目線からの黒髪ロング美少女に対する、羨望と性的観測の入り混じった描写」だけで充分その理由足り得るかなと思います。
 高校生くらいの年頃の、自分なんかが見ていては悪いようで、でも目を離せない。きれいなものへの憧れや憧憬を含んだ視点からは、直接に美しいものそのものの美しさを描写する以上に、読者にノスタルジックに訴えてきます。

 すると、体育館の入り口から、運動着姿の小余綾が姿を現した。長い黒髪は未だシュシュで括られ、ポニーになっている。その髪を揺らしながら、華奢で美しい身体が水道のところまで歩んでいくのを、僕はぼんやりと見つめる。
 彼女はそこで顔を洗った。蛇口から飛び出す水が、きらきらとした水滴となり、小余綾の紅潮した頰と垂れた髪を飾っていく。彼女は顔を上げて、心地よさそうに伸びをした。
相沢沙呼『小説の神様』)


 相沢さんはデビュー当時からこういう描写が非常に巧く、千谷や小余綾のように、これからも小説を書き続けてもらえたらなと願っています。サンドリヨンとマツリカのシリーズ続きが読みたい!

『うちのクラスの女子がヤバい』という革命

1年1組はどこにでもあるごく普通のクラス。だけど、他のクラスとはちょっとだけ違うところがありました。女子生徒がみんな、「無用力」と呼ばれる、まるで何の役にも立たない、それも思春期だけしか使えない超能力を持っていたのです――。思春期女子はへんてこで、それがフツーで、みんなかわいい!衿沢世衣子が描く、思春期限定・ちょっと不思議なハイスクール☆デイズ!



 漫画『ONE PIECE』は主人公の少年・ルフィが幼少期、ひょんなことからゴム人間となるところから始まります。漫画のファンタジーな能力は物語のトリガーとなるもので、登場人物はいつもそれを活用して苦難を乗り越え活躍します。

 衿沢世衣子においては少し違います。思春期だけしか使えない、くだらないささいな超能力「無用力」。場合によっては、場合によらなくてもマイナスに働くことの方が多いこの能力を持って、彼女たちは日常生活を送っています。

 おそらくこれは衿沢なりの「個性」のメタファーで、ものすごい物語のきっかけになる能力だけが個性ではなく、むしろ「個性なんてものは何の役にも立たずすぐに失われるくだらない性質だ」と衿沢は言っている、ように見えます。

 そこに否定的なニュアンスはなく、むしろ他人と比較して優れた能力を持たない多くの人に対する「気にしなくていいよ」という肯定的なメッセージを感じます。表紙画がフランス革命の名画から引用されているのも、「くだらない能力しかない私たちが物語の主人公となる(という革命)」を示唆しているのでしょう。いやはや衿沢世衣子がヤバい。

『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』感想

 初期のミルキィホームズは競馬場や始球式や平安神宮でライブをやるなど、妙なコラボ企画を連続していた。これは「他のどんなユニットもやらないようなこともやるのがミルキィホームズである」という宣言であり、新人ユニットとして登場したミルキィホームズによる世界に対するテロリズムでもあったと考えている。世界をミルキィが侵食し、ミルキィ色に世界を染める。そのProject MILKY HOLMESも早7年目を迎えた。


 5月14日と15日の2日間連続で行われた『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』。中村プロデューサーが引いて初のイベントとなる今回は、初のカウントダウンライブ開催や新規アニメーションの制作も発表されるなど、先の新たな展開を約束するものであった。

 ライブとしては異例なことに、一部でスマートフォンでの撮影を許可される場面があり、ぼくも1日目は非常に席が良かったので近距離からミルキィホームズを撮ることができた。







  • 総天然色フルパワー

 今回のライブはニューアルバム『総天然色フルパワー』の発売を記念したもので、ライブの中心にこの曲がある。


www.youtube.com




 キャラクター個別カラーを採用した時点で、いずれミルキィホームズが全員集合的な意味合いで「フルカラー」を持ち出して来るだろうことは容易に予想できていた。さすがに総天然色でフルカラーと読ませるとは思わなかったが。

 そういう意味で総天然色フルパワーは出るべくして出てきた曲で、極端な話これがデビュー曲として出てきてもおかしくかなった。ただそうならなかったことで、このタイミングで出てきたことで総天然色フルパワーはさらにファンへ感動をもたらす曲となった。

 当たり前だが、この曲中に出てくる色はその色のメンバーを指している。メンバーの個性までも含んで、その色のメンバーを指している。

 それとは別に、一般的に個性は色に例えられる。総天然色フルパワーには聴き手に個性を発揮してほしいというメッセージも込められている。

 そしてミルキィホームズは7年目にしてみな個性を発揮して、歌詞の通り「それぞれが違う色で最高に輝」いている。
 ソロの全国ツアーを決めた三森さんを筆頭に、メンバーそれぞれ本業以外でも活躍の場を広げるミルキィホームズは、他の声優ユニットとも違った輝きを放つ。今、最も「それぞれが違う色で最高に輝け」と言うに相応しいユニットと思う。

 曲中、何度も「色」や「カラー」と言った言葉が出てくるが、この色が意味するのは「色(ミルキィホームズ)」であったり「色(ミルキィホームズ の個性)」、さらには「色(あなた、そしてみんなの個性)」であったりする。

 その境界をあいまいにすることで、『総天然色フルパワー』はいつも通り元気なミルキィホームズのおばかな話でありながら、全く露骨でないファンへのメッセージも込められている。

 そしてそれはミルキィホームズが実際に「それぞれが違う色に輝」いたことで、7年前は本当に新人であんなにダメダメだったミルキィホームズが今のように輝いたことで、よりメッセージの強さを増して我々の前に現れる。

 以前ぼくは『逆襲のミルキィホームズ』はProject MILKY HOLMES集大成と言ったし、そう捉えている人は少なくないだろう。
 しかしProject MILKY HOLMESはアニメだけではなく、アニメより早く始まり毎年精力的に活動している声優ユニットミルキィホームズとしての集大成は別にある。
 それがこの『総天然色フルパワー』であると思う。歌い手の軌跡を背景に、それを共有したファンに向けてのメッセージが込められ、かつミルキィホームズらしさを感じる遊びに富んだ最高のアイドル曲だ。

 またPVを見れば一目瞭然、『総天然色フルパワー』は特撮作品をイメージしている。特撮、つまり特撮ヒーローだ。ファンに応援されるアイドルが、ファンを守るヒーローになる。これもこの7年でミルキィが「それぞれが違う色で最高に輝」いたからこそできたことである。
 ファンの応援を受け成長したミルキィホームズが、今度はヒーローの立場でファンを守る。『総天然色フルパワー』はそんなProject MILKY HOLMES7年の軌跡を想わせる曲である。

 そんな『総天然色フルパワー』を記念して開催されたライブは2日間あったにも関わらず、ソロパートやペアパートを封印し、全て4人曲(+フェザーズ)で固めることで(ソロ曲をみんなで歌うまでして)、「それぞれが違う色に最高に輝け」を体現したライブとなった。

 『総天然色フルパワー』を意識したギルティとの戦い演出はそれをより強く感じさせたし、ライブ会場でブーイングを求める遊びも他ではないミルキィホームズらしさがあって楽しかった。

 加えてこのライブでは「祭」がテーマとなっている。「わっしょい」の語源が輪をみんなで背負うというところにあるのが重要なファクターである。みんなで、というのが重要で、実際ライブ中、ステージ上のメンバーだけでなく会場のファンも何度も何度も「わっしょい」を言う。


 かつてぼくは『逆襲のミルキィホームズ』のタイトル「ミルキィホームズ」はミルキィホームズ世界の住人すべてを意味していると言った。



 であれば、『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』における「ミルキィホームズ」には、もう7年もヨコハマに住んでいるファンも含まれていると考えてよいのではないか。we are milkyholmes。

 我々もミルキィホームズで、ミルキィホームズと同じように「それぞれが違う色に輝」けるのかもしれない。ミルキィホームズというヒーローの守る世界で。


 『ライブ ミルキィホームズ 総天然色祭』は(年長者らしく)橘田いずみさんのMCで終わりを迎える。

「わたしたちにはフレッシュさとかはちょっと(彩沙)しかないけど!『みるみるミルキィ』でも夢とか希望とかあげられてないと思うけど!でも、元気だけはあげられてると思う。だから、明日も元気に、行ってらっしゃい!」(2016.5.15橘田いずみ 幕張メッセにて)

『響 ~小説家になる方法~』の巧みなミスリード(ネタバレなし)

 今号のビックコミックスペリオール掲載『響 ~小説家になる方法~』第32話「絶縁」が素晴らしい。巧みなミスリードが見事にはまった回で、「あんなに前からだまされていたのか!?」というミステリ作品の叙述トリックに似た快感を得られる。そして月曜日ジャンプを読んだ中学生のようにネタバレ会話したくなるのだ。


(※一応ネタバレ避けて書いてますが、勘のいい人にはノイズになるので読まない方がいいです)



 『響 ~小説家になる方法~』はいろんな方々がそろって「2巻まで読んだ方がいい」と言う通り、2巻のアレは本当にすごい。



 第32話も同じタイプの技が使われていている。「どっちだ?」「両方」という会話がトリガーで、「両方」がまさかそっちの意味での両方だとは思わなかったことで、読み手は作者にミスリードされていたことに気づく。気づくのだが、気づいて振り返ると、この誘導がかなり前から行われていたという作者の巧みさにも気づく。


 ある程度フィクションのパターンを抑えた読み手は、少し推測の材料がそろうと「なるほど。(よくある)ああいう展開でこの後ああなるのか」などと展開の先読みをしてしまう。そしてそれを否定する材料が出てくるとパターンを外された新しい作品ということで興味を強める。そのため作品がパターンを外すのであれば、それが分かる手がかりは早めに提示するものということまで含めて、分かっている。それはつまり決定的なパターン外しを示唆されない限り、自分が先読みしたパターンの展開に作品が乗っていることを疑わないということを意味している。
 『響』の場合はすぐにパターン外しを提示しない。引っ張って引っ張って読み手がパターンに乗っていることに疑いもなくなった頃に、若干否定的な材料(しかし決定的ではない)を見せる。しかしその頃には読み手はすっかり騙されているから疑いもない。ここで否定的な材料を疑えないのは、読み手がメタ視点にあることも要因だろう。

 読み手はメタ視点で見るために、キャラクターの行動に自分の読み方と異なる部分が出ても「メタ視点にいる自分が先読みした展開に沿った進み方が正しくて、このキャラクターは何らかの理由でウソをついているもしくは勘違いしている」と思いがちだ。

 2巻のアレで言えば、響自身は真実が明らかになる少し前から「本当の事」を言っている。そこに気づけないのは先読みしたパターンに疑いがなくなっていることに加え、読み手はメタ視点にいるという油断がある。


①フィクションのパターンを抑えた読み手は、パターンに沿って展開を先読みする。決定的に否定する材料が出てこない限りはそれを信じる。否定材料のないまましばらく進むことで(明らかに書かれていない)それがまさか前提のように考え、他のパターンを疑えなくなる。
②読み手がキャラクターと比べてメタ視点にあるために、実際はどちらともどとれる言動をしても、どちらかに違いないとして読んでしまう。


 まとめると『響』のミスリードは上の2点の合わせ技である。
 そしてそうした巧みなミスリードは一瞬の快感に終わらない、普通のパターンを外されたことで衝撃的な展開となり、さらに先の展開への興味を強めるのだ。小説家という地味な題材の漫画で、画や画面演出にも決して派手さはないが、中学生にとっての月曜日のジャンプのように続きが気になるのはこうした技術に依るものと思われる。

今週の黒ロン:『ななしのアステリズム』

今週の黒ロン

 連休も終わりが見え始め、ふと高校を出てからもうずいぶん経ってしまったなあと昔を思い返す。どころか大学を出てからもしばらく経っていた。

 そんなふうにまあ、ぼくもそこそこに生きてきたから実感を持ってこういうことを言うのだけど、昔すごく仲が良かった人と今は全く疎遠になるなんてことはざらにあるものだなあ、と。当時は考えもしなかったことを、如何にも自然なことのように感じる。

 中高のとき仲が良かった人と久し振りに会って、結局ひどく表面的な話しかできなかったときの絶望感と言ったら。でもそんなことにも徐々に慣れてきている。それを「成長」と呼ぶのにはまだ躊躇いと疑いがある。



 『ななしのアステリズム』のキャラクターたちは3人の友達関係を維持するためにそれぞれ隠し事を持つ。そこには間違いなく変化への恐れがある。相手の変化への恐れ。自分の変化への恐れ。関係の変化への恐れ。
 中学1年という世界があっと広くなって、急に狭くなって、周りがどんどん変わっていく彼女たちの時間が、世界がそれを加速させている。中学生という小学生でも高校生でもない、フィクションで描くにも難しい世界がここにある。

 この手の話の類型は男女入り混じった3人であらば数えきれないが、『ななしのアステリズム』の場合は全員が女子である。したがって中学生になってみんな「普通の恋愛」に向かって行く中で、「自分だけ」同性愛へ向かうことへの恐れも彼女たちにはある。結果、彼女たちのバランスは表面的には危なげなく保たれている。おそらく同じ題材でも男女入り混じった3人であれば、誰かが早々にこのバランスを崩しにかかる、はずだ。


 「『ななしのアステリズム』は7話まで読んでほしい」というすすめ方がこれから流行るはずだ。

私達は 同じ気持ちで 同じ強さで 同じ重さで お互いを”好き”じゃないとダメなんだから……(第7話★テンビン)


 まさかのミスリードでした。


 キャラクターの心理描写が丁寧で、それはメインの3人のみならず、彼女たちに深く関わる男性たちも当て馬のごとく利用されては終わらない。それが彼女たちのバランスを、彼女たちの隠し事とは別の方向から、揺るがしにかかる。

 突如現れたイケメン男子は意外にも良いやつで諦めも悪く、まだ背景が見えないために何度も彼女らの前に現れそうだし、主人公の双子の弟に至っては重度のシスコンで、時間経過による関係の変化を恐れる双子という単体でメイン張れるやつが彼女らの三角関係を見据えている。


 「アステリズム」とは星群のことであり、「ななしのアステリズム」とはまだパターン化されていない彼女たちのことを意味しているように思う。こういう話に、「どうせいつか終わるんだから今何をしても無駄」と言うふうにはまだ割り切れないが、おかげでこの漫画を今非常に面白く読むことができる。





 実に三カ月ぶりに今週の黒ロンを書いたらすっかり黒ロンポイントを書き忘れてしまうところであった。今週でも黒ロンでもなく終わる今週の黒ロンになるところであったが、『ななしのアステリズム』のポイントはサッカー少女であるボーイッシュで天真爛漫な主人公・白鳥司が、見事に黒髪ロングストレートなところである。

 中学生活の初日。通学途中、司の長い髪がある生徒の制服のボタンに絡まってしまう。『ななしのアステリズム』はそこから始まる。
 この些細でありきたりな事件は、しかし彼女たちそれぞれにとって特別な意味を持つことになり、それはそれぞれの胸に内に秘めている。特に司の場合は、それまでさして意味のなかったロングヘアへの特別な意味付けとなって今日に至る。

 司のロングヘアにはしっかりとした意味があり、そのエピソードが全体の話の中でさらに何重かの意味を持つ。『ななしのアステリズム』における3人の百合三角関係において極めて重要なファクターとなっているのだ。

 あと突如告白してきたイケメン男子が、ちょっと会ってみたら親切だし気遣いできるしなんだこいつめちゃくちゃ良いやつじゃん!みたいなエピソードをへーってわりと無感情で読んでいたのだが、その後で黒ロン好きなのが判明してなんだこいつめちゃくちゃ良いやつじゃん!てなりましたね。そんな漫画です。

「七転八倒」の意味を塗り替える『逆襲のミルキィホームズ』

――長年愛されている本作ですが、この作品の魅力とは?
ミルキィホームズがダメダメなところですかね(笑)。このダメダメな子たちが一生懸命頑張って事件を解決しようとする、前向きなダメさというか。どんどん前に突き進んでいく感じがパワーになっているんじゃないかと思います」
週刊少年チャンピオン2016年3月10日号掲載 三森すずこインタビューより)

――みなさんの考える『ミルキィホームズ』らしさとは?
森脇:観たところで学ぶことは何一つない。今回も、その瞬間を生きるみたいなフィルムになっていましたね。
(『劇場版 探偵オペラ ミルキィホームズ〜逆襲のミルキィホームズ〜』パンフレット対談より)



  • 『Project MILKY HOLMES』における劇場版の意味

 昨日ついに『劇場版 探偵オペラ ミルキィホームズ〜逆襲のミルキィホームズ〜』が公開されました。
 ブシロードが主導するメディアミックス企画『Project MILKY HOLMES』は2010年にアニメ1期や原作ゲームが発売され、今年で6年目を迎えます。
 連続テレビアニメが毎年次々と放送され、消費されていくことが問題視されるようになってから何年も経つ中、全く新しく立ち上げた1つの企画が6年も続くというのは素人目にすごいことだと思いますし、実際はもっと大変なのだろうと予想できます。あの世界的大ヒットのポケモンでも20年なのですから。

 かつては一部の成功作でしか製作されない印象のあった劇場版ですが、最近は数々のアニメ作品が当たり前のように劇場版を製作するようになっています。固定ファンが付いていればある程度の動員は見込めるからでしょうか。
 それでも『Project MILKY HOLMES』はその他の企画が絶対に手を出さないようなことにはいくつも手を出しておきながら、劇場版だけはなぜか製作されないまま続いていました。長期シリーズとしてはわりと珍しい部類と思います。
 今回の劇場版の話が出てきたのはTD製作中とのことですので2014年のことなのでしょうが、それにしても遅いくらいです。それまで劇場版が出てこなかった理由は、大人の事情を抜きにして考えれば、誰も「劇場版ミルキィホームズ」の絵を描けなかったからではないでしょうか?

  • 簡単なようで難しい劇場版ミルキィ

 毎年のように放送されている長期シリーズのミルキィホームズが劇場版を作れないというのは、多くの方にとって疑問に思うところかもしれません。
 しかしテレビアニメと劇場アニメはものが違って、劇場アニメには劇場アニメの制約があります。動画サイトやテレビでの視聴を前提としており、30分の枠の中で毎週1話を終わらせるテレビ放送とは違って、劇場アニメは1時間以上の1話完結となり、それに見合った話作りが必要となるからです。

 またミルキィホームズはギャグアニメであり、ギャグアニメでアバンタイトル→オープニング→Aパート→アイキャッチ→Bパート→エンディング(→Cパート→次回予告)というきっちりとした流れを取り払うと、同じことをやっていてもギャグにメリハリがつかないマンネリズムを感じてしまいがちです。
 もともとミルキィホームズは30分でここまで詰め込むのかというギャグの量と、それでも崩れない絶妙なテンポの良さが評価された作品ですので、同じことを劇場版でもやると観客が疲れてしまう懸念もありました。
 ストーリー色を強く出せばこれは回避できますし、実際多くの作品がストーリーメインとしているはずですが、そのせいでギャグを抑制してはミルキィホームズの名である必要があるのかという作品になってしまいます。そのため制約のない自由な1時間以上というのは案外ミルキィホームズをやる上で大きなネックとなります。

 さらにこの6年で『Project MILKY HOLMES』は広がり過ぎました。2010年の『探偵オペラ ミルキィホームズ』から始まり、2011年の『探偵オペラ ミルキィホームズ サマー・スペシャル』と2012年の『探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕』は1期の続編として見られますが、ゲーム版準拠となる2012年放送の『探偵オペラ ミルキィホームズ Alternative ONE & TWO』やキッズアニメ色を強くした2013年の『ふたりはミルキィホームズ』、それら過去シリーズをうまく繋いだ2015年の『探偵歌劇 ミルキィホームズ TD』と、それぞれ世界観やキャラクターが微妙に異なります。
 劇場版ミルキィホームズとして、どのミルキィホームズを選択し何をどう作るのかはこうして難しくなっていました。

 そんなわけでやっと『逆襲のミルキィホームズ』の話ができます。この映画は公開前に冒頭7分動画が発表されています。ファンクラブイベントで事前公開された内容が、その後公式サイトで一般公開されたものです。


https://www.youtube.com/watch?v=xeNDH4PZX_Ewww.youtube.com


 冒頭7分動画では、ミルキィホームズがグンマでトイズを失いヨコハマへ帰るまでを、ふんだんに遊びを入れて、かつ各キャラクター説明などもおさらいして7分に収めるという、出だしが良すぎて心配になる勢いでした。

 「ミルキィホームズはトイズを使える」「トイズを使えるミルキィホームズは有能」「探偵と怪盗が戦う世界観」「警察もいる」「小衣ちゃんは外道」「小衣ちゃんて言うな」「ネロも下衆」「エリーえろい」「コーデリアさんお花畑」「シャロかわいい」「怪盗帝国とミルキィホームズは好敵手」といったミルキィホームズのお約束となる要素がこの7分に全て込められ、かつミルキィホームズがトイズを失うまで一気に話を進めてしまいます。
 1期1話を踏襲したいつものミルキィだけにここまで飛ばしていけるというのはあると思います。つまり冒頭からものすごい勢いで展開していても、視聴者的には「なるほどいつものパターンか」という暗黙の了解があるわけです。そのためややハイコンテクストというか、全くの初めてミルキィホームズを観る方は冒頭から見逃さないようにしておく必要があります。冒頭7分の事前公開もこういった事情があるのでしょうし、今回初ミルキィの方は冒頭7分動画はしっかり観てから足を運ぶことをおすすめします。

  • ギャグをとるか?ストーリーをとるか?

 公開前の心配事は「テレビ版のようなギャグアニメを70分続けることで飽きが来ないか?テンポが崩れないか?」という点でした。この点に関してはストーリー色を強くすることで解決が図られています。
 という書き方をすると、他のコメディ作品でも同様の手法が採られているため、特段目新しい感じはしませんが、『逆襲のミルキィホームズ』の特色はストーリー色を強くしてもギャグ色は弱くしないことにあります。同じようなギャグが続くことでストーリーの進展が止まることによるストレスを、これにより回避しています。
 ギャグはシーンの話でストーリーは全体の話なので、この2つは対置するものではありませんが、それでも「ストーリー色を強くしてもギャグ色は弱くしない」はなかなか難しいものだったと思います。不条理なギャグに引っ張られるとストーリーは破綻してしまいますし、ストーリーの感動やそこに至る積みを重視するとギャグは抑えないといけなくなります。

 公開前のトークでも「ギャグばかりやってたと思ったら意外とお話も進んでいた」ようなことを誰か言っていましたが、「ストーリー色を強くしてもギャグ色は弱くしない」。ここが劇場版ミルキィホームズという課題に対し『逆襲のミルキィホームズ』が出したアンサーです。

 もちろんこれはそれができれば誰も苦労はしないというくらい、言うのは簡単でもやるのは難しいことです。
 それができた理由は1つに沼田さんのキャラクターデザインにあります。丸っこくて可愛い沼田さんのキャラデザの強みは作画をいじれるところにあり、これにより作画で笑いをとることが可能となっています。
 冒頭7分動画を観てもらえば分かる通り、「ここまでデザインをいじっても同じキャラクターとして見てもらえる」という沼田さんの強みは、安心して作画で笑いをとりにいけることに繋がり、とても挑戦的にキャラデザをいじる映画となっています。そしてネタだけでなく作画で笑いがとれるようになったことで、ストーリー進行とギャグを並行できています。
 ギャグに関してはほぼツッコミ不在というのもギャグを抑えなくてよい理由の一つですが、シリーズ初めて小衣ちゃんのIQにツッコミが入るところには注目です。
 またストーリー上、特に説明のないシーンもあります。なぜこうなったのか?例えば冒頭7分でエリーだけ探偵服に着替えられなかったのはなぜか?など、分からなくても流れで観られるところは削って削って70分に収めた『逆襲のミルキィホームズ』は密度が高いです。それでも一通り見る分には困りません。テレビ版で培ったテンポの良さが、劇場版ではバランスの良さとして活きています。

 『逆襲のミルキィホームズ』は新たな世界観を持ち込まず、既存のもので構成したミルキィオールスター映画です。映画化というと新たな舞台への冒険になったり、新たな敵が出てきたりといった内容になりがちですが、『逆襲のミルキィホームズ』は一応後者ではあるものの、あのヨコハマ世界で起こりうるレベルのものに登場キャラクターや世界観を止めており、6年培ったミルキィホームズの世界観を壊しません。
 同時にそれぞれのアニメシリーズで微妙に異なるミルキィホームズ世界観の謎にも踏み込んだ、SF作品でもあります。懐かしいキャラクターやそういえばこんなやついたなーというキャラクターまで続々登場します。これが「劇場版としてどのミルキィホームズを選ぶのか?」に対する『逆襲のミルキィホームズ』のアンサーです。
 まさに「正解はひとつ!じゃない!!」と言ったところでしょうか。

  • 誰もが皆何かの敗者である

 手法の話はこれくらいにしてそろそろ内容に踏み込みましょう。

 「敗者」のダメダメなミルキィホームズが「逆襲」する。『逆襲のミルキィホームズ』というタイトルからしてそういう内容と予想されていましたが、実はミルキィホームズだけでなく、この映画に出てくるキャラクターはみんなが敗者です。
 本作のラスボス。かつてミルキィホームズに敗れた怪盗たち。どこまでも左遷されるG4。そして今回は珍しく怪盗アルセーヌも部下のスリーカードを失い、「敗者」としてリベンジの戦いになります。
 勝ち組負け組なんて言葉が出てきてから十年が経ちますが、誰もが何かの面で成功しており、また別の面で失敗しているという意味で、皆何かの敗者と言えるのかもしれません。
 作中に出てくる「敗者復活の宝石」は、その名の通り敗者に力を与え勝者となるパワーを与えるもの。敗者を自認するキャラクターたちは挙ってそれを手に入れようとします。そしてその中で、それぞれの答えに辿り着きます。特にシャロ(ミルキィホームズ)とアルセーヌの辿り着いた答えは、それぞれ別のものであり、そして共に感動的です。

  • 「敗者復活の宝石」はみんなの小衣の中に

 シャロがおじいちゃんから受け継いだものは「敗者復活の宝石」だけではありません。何度転んでも立ち上がる「七転八倒」の教えもホームズから授かったものです。
 『逆襲のミルキィホームズ』そしてミルキィホームズのテーマもこの七転八倒です。七転八起がポジティブで前向きなイメージなのに対し、ネガティブなイメージを伴いがちな七転八倒のイメージの塗り替えを、本作は常に行います。そしてそれは本作に限らず、ミルキィホームズが今までやってきたもの。制作スタッフがミルキィらしさを考えそれに行き着いたものということで、この点を持って本作が劇場版ミルキィとしてこれ以上なく相応しい作品と呼ぶことができます。
 例え七転八倒しようが起き上がれる。それがミルキィホームズの提示する七転八倒です。

 冒頭の三森さんの話にもあるように、七転八倒を繰り返すダメダメなミルキィホームズは、過去のミルキィホームズシリーズからの伝統です。そういう意味では『逆襲のミルキィホームズ』はそこに何一つ新しい要素を加えていません。劇場アニメでミルキィホームズをやっただけです。そして、それが新しいことです。

  • そしてそれぞれの七転八倒

 エンディングでおなじみのキャラクターたちのその後が映りますが、みなそれぞれ七転八倒している様子が伺えます。また懲りずに七転八倒する、それができる世界。ヨコハマ。美しいです。
 それを体現しているのが探偵ミルキィホームズで、だからミルキィホームズはダメダメでも街で大人気ですし、TDの天城茉莉音のようにミルキィホームズに力をもらったキャラクターもいます。
 そしてエンディングの後にはミルキィホームズと怪盗帝国の七転八倒へと続きます。

  • 繰り返される歴史と書き換えられる今

 探偵と怪盗の歴史はホームズの時代から続き、大探偵時代と呼ばれてきました。探偵と怪盗の戦い自体は同じように続く中、その意味合いは昔から変わっているようです。
 今のヨコハマで、今の怪盗と今の探偵が戦うことは、どちらかを憎しみ滅ぼすような戦いではなく、互いに認め合った好敵手との儀式のようなものです。ミルキィホームズと怪盗帝国の七転八倒はそれを示唆するもので、『逆襲のミルキィホームズ』ではミルキィホームズの中核を成す2者の戦い。6年続く両者の関係の再確認・再定義が行われました。歴史は繰り返されるけれど、その中で生きる人は変わっている。したがって七転八倒にもちゃんと意味はあるのです。
 そこに至る過程で、怪盗帝国側では怪盗アルセーヌとスリーカードの関係にアンサーが。スリーカードの怪盗アルセーヌに対する忠誠から、怪盗アルセーヌからスリーカードに対する想いが描かれた点は、本作のラストに繋がる重要なファクターであり、ミルキィホームズ史上も重要なファクターです。
 怪盗帝国の関係。ミルキィホームズと怪盗帝国の関係。これが、シーンとしても非常に美しい形で収まっています。正月の13時間一挙放送で最後に1期1話を持ってきたのはこういうことだったんでしょう。1期1話の冒頭シーンが『Project MILKY HOLMES』6年と劇場版の70分で新たな意味を伴い、再び観客の前に姿を現します。

  • 追記(3/9):タイトル解釈



  • おわりに

 思い返せば2011年に『探偵オペラ ミルキィホームズ サマー・スペシャル』を観て「こんなすごいものをやってしまったら劇場版が作れなくなるじゃないか!」と思ったものでした。
 今回『逆襲のミルキィホームズ』を観て、「こんなすごいものをやってしまったらミルキィホームズはどうやって終わるんだ!?」という気持ちです。『Project MILKY HOLMES -SECOND STAGE-』クライマックスに相応しい作品でした。
 最後に『プリパラ』のヒットで森脇監督が動けない中、このような作品を製作したスタッフに感謝を。特に劇場版を最後に『Project MILKY HOLMES』を離れる中村プロデューサーには最大級の感謝を。
 あとはこの素晴らしい映画をロングランとすべく毎週劇場に足を運ぶことだけがいちファンにできることです。




探偵オペラ ミルキィホームズ はじめまして。 (1)

探偵オペラ ミルキィホームズ はじめまして。 (1)

 あとこのへんを買うこともできました。