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『劇場版SAO』 アスナさんの髪がめっちゃ長い

 『劇場版SAO』観てきた。


sao-movie.net


 『SAO』の前知識は主人公とヒロインだけはキャラクターとして知ってて、あとは結婚することとオンラインゲームものってことは知ってて。つまりほぼ前知識ゼロでしたが、観る上で困ることはなかったです。現実世界のこの人とゲーム内のこの人がイコールってのもすぐ分かったし。ちょっと驚いたこともあるけど(ユイちゃんが突然大きくなったり)だいたいなるほどこういう設定なんだなふむふむで観られたんで、前知識ゼロだときついと言ってる人がいましたが、そこそこフィクション慣れしてる人ならきつくはないかなと。

 率直な感想としては、まずアスナさんの髪がめっちゃ長い。めっちゃ長いですね。古来よりヒロインの髪が長いアニメは名作と言われますが、この一点だけでも映画館に足を運んだかいがあったなと。アスナさんキャラクターとしては知ってたんですが、まさかここまで髪が長いとは。別に『SAO』に限った話ではないですが、キャラクターイラストはどれもバストアップがメインで、全身図が映らないと髪の長さって分からないので。ロングヘアーにしても肩にかかるくらいとか背のあたりまでとか長さの違いってあるわけで、それがアスナさんはお尻くらいまであるじゃないですか。しかもワンレンで前に垂らした髪もめっちゃ長くて、つまりアスナさんの髪がめっちゃ長い。

 で、この髪の長さって「設定:髪が長い」ってレベルじゃなく、髪が長いからには座れば地に着くし、寝転がれば一面に広がるし、アクションでは揺れ動くし。とにかくアスナさんの髪が長い。めっちゃ長いと感じさせてくれる。そんなすばらしい映画でした『劇場版SAO』。


 『劇場版SAO』はアスナさんの戦闘シーンが多く、戦闘スタイル的にもアスナさん激しく動くために、アクションで揺れ動く髪というのが本作の大きな見所となっています。ARでもVRでもいいからここに浸っていたいと感じさせる髪描写。かと思えばお風呂で髪を結ったり髪型を変えたりという髪描写も見ることができて大満足です。

 あとは女子力ヒロインと言うか、男を使える女性ですねアスナさん。途中で見せる戦闘でのマネジメントというか統率の鮮やかさは理想の上司に推したいくらいですし。恋人のキリトくんにしてもうまいことコントロールしていたり、何かと親に会わせようとして囲いこみしてきたり。加えて女性陣の中ではお姉さんポジションで優しく守ってくれるタイプ。ロングヘアー的な意味ではもちろん、キャラクターとしても十代の観客共が結婚したいヒロインナンバーワンも(たぶん)納得です。


 作品の感想も最後に書いておくと。劇場版というか『SAO』という作品に対して、いろんなところで「新しいテクノロジーの台頭は危険も大変なこともあるけど、わくわくに満ちていて、友達もできて、人を幸せにする」を感じました。映画館は十代で満ちていて、刺さるべきところに刺さっているジュブナイルだなと。
 AIとかウェアラブル端末とかディープラーニングとか。ニュースでよく聴きはじめた最新IT技術を子供たちが友達同士で遊びに使ってて、すごく楽しそう。そしてこれは夢物語ではなく、いくらかは既に現実化している、または近い将来可能となるレベルのものである事実が、より「テクノロジーは人を幸せにする」を感じさせます。

 ところが『劇場版SAO』ではこれまでVRで遊んでた仲間が突如ARにはまりはじめます。新しいテクノロジーがさらに新しいテクノロジーに移り変わっていくことに対して、次から次へ新しいゲームに人は流れていってしまう観客的にもリアルな問題に対して、『劇場版SAO』はテクノロジーを否定しません。

 「悪いのはテクノロジーではなく使う人」というような方向に流れていったのはありきたりかと思いましたが、『劇場版SAO』では「記憶」がとても大事にされていて、「人が場を移るのは仕方ないけど、思い出は残って、それが人と人を結びつけてくれる」というようなアンサーをなんとなく感じて。それはすごく良い答えだなあって。



 ちょうどいいタイミングでKindle版が安いのでこれから読みます。

ブログを書くときに意識していること2017

 2009年から漫画の感想などを書いてきて、ここ2年でやっとスタイルが確立してきたなと感じています。そこでブログ書くときに意識していることを書きます。誰かの参考になるかは分かりません。

 当然と言えば当然ですが最後まで読んでもらいたいと思っているので、そのために自分なりの工夫をしています。

 それは最後まで読ませるために、読み飛ばせる部分を作るということ。

 インターネット上で書いているからには、読む人はPCなりスマートフォンなりで読んでいるはずで、そうすると読む人はブログ文章を読むために画面をスクロールしていくわけですが、液晶画面で文字だけずらっと読んでいるのは少々辛いです。慣れてる人は全然平気なんですが、慣れてない人の方が圧倒的に多いでしょう。

 これが紙書籍でも同じで、するすると文章を読み進められてどんどんページをめくれる快楽というのは確かにあります。ページを読むのに時間がかかるのはストレスで、読むのをやめてしまう原因にも成り得ます。
 堅い文章や難しい考察を読むのに抵抗が少ない人であっても、インターネットでブログを読むのにそこまで気構えてくれるとは期待できません。

 そこで、あえて読み飛ばせる「文章以外のもの」を文章と文章の間に挟む、ということをやっています。
 たくさん画像を貼ったりやたら改行したりといったブログも同じような効果を狙ってのことと思いますが、そういうのは流儀ではないので、なるべくそれ以外の方法で。

 画像や改行以外にも、Amazon商品紹介やTweetリンク、ブログ引用リンクはぱっと見て読み飛ばせる(スクロールできる)ところです。ブログ引用リンクもリンクを貼ってはいますが、その記事を全て読んだ後ならまだしも、その場でリンク先に飛んで読んでくれる人は稀と思いますので、普通は読み飛ばしているものと考えています。

 だからこのブログでは、序文→Amazon商品紹介orTweetリンク→本文1→画像or引用リンク→本文2……というような流れが基本的なスタイルになっています。はじめにAmazonを置くのは表紙画像でイメージをもってもらえるからという意図もあります。Tweetリンクを置くのは端的に面白ポイントがまとまっており、本文の導入に使えると判断した場合です。

 2~3行程度の序文で読むのをやめてしまう人は少ないと見込んで、その次にすぐにスクロールする箇所を作ることで、とにかく本文まで誘導することを狙っています。

 最後まで読まない人がではどこまで読んでくれるかというと、最初の画面から全くスクロールしないで画面を閉じる人が大半でしょう。読む人はきっとどこかからのリンクで飛んできて、まず始めに文章しか画面に映らないとその時点で読む気が失せてしまいがちです。面白さが保証されている知名度の高い人や文章自体が面白い人であればまた違うのでしょうが、自分含め大多数はそうではないので。

 そのための「とにかく本文まで誘導する」です。一度スクロールすると本人の中で「読んだ」状態になるので、そのまま読んでくれることが(きっと)多いです。最初の画面から全くスクロールしないで画面を閉じるのは、「読んでいない」状態なので、とにかくこれを回避することが狙いです。

 本文は1~3行で1つの段落にして、改行プラス空白行挿入で次の段落へといった構成。改行が少ないと読み進めるのが遅くなるのと、どこを読んでいるか分からなくなってしまう方がいるため「ひとかたまり」を分かりやすくしています。

 この考えからすると本当は1行毎に改行したり空白行を入れたりする方が読みやすいのでしょうが、あまり文章規則を無視するのも流儀ではないので、中途半端な形に留めています。

 あとはいくら工夫しても本文を長くすればするほど最後まで読んでもらえる率は下がりますので、その場で一気に読める(時間ないから後で読もうと思われない)ラインということで、全体の文章は1000~3000程度に収まってるはずです。
 もっともこれは字数調整しているわけではなく、自分が書くと大体この程度に収まるというだけの話ですので、あまり工夫として意識しているものではありません。

 この工夫による効果がどれほど出ているものかは分かりませんが、少なくとも自分で読み返す分には読みやすいです。細かい拘りは他にもいくらかありますが、2017年現在ではこれが一番大きな意識している工夫です。

 ところでこの文章ではAmazon商品紹介やTweetリンク、ブログ引用リンクを全く貼っていないので、最後まで読んでもらいたい文章というわけではありませんが、最後まで読んでもらえたかは不安です。

『悪役シンデレラ』 ヒーローショーの悪役は女子高生!?

 雑誌でたまたま出会ったデビュー作「退屈しのぎは華やかに」(単行本『かわいいから許す』に収録)が気に入って以来注目していた三月薫さんの作品ということで、内容全くチェックせずに読み始めた『悪役シンデレラ』。
 なんとご当地ヒーローショーのヒーロー役と女悪役の恋愛ストーリー(恋愛色薄め)という珍しい漫画でした。


かわいいから許す (デザートコミックス)

かわいいから許す (デザートコミックス)


悪役シンデレラ (デザートコミックス)

悪役シンデレラ (デザートコミックス)


 一昨年からずっと特撮作品を題材にした漫画『トクサツガガガ』を推してきて、その影響で相当久しぶりに特撮作品を観る習慣もついた自分としてはかなり興味のあるテーマ。この題材にしては珍しく悪役視点ということで、逆側から見てヒーローものへの理解が一段深くなったと感じます。


mercury-c.hateblo.jp


 病弱な弟の喜ぶ顔が見たいという理由で、その弟の大好きなご当地ヒーローショーのスタッフとしてアルバイトを始めることにした女子高生・立花彩佳。裏方スタッフを希望していたものの、ちょうど演者を探していたと言う女悪役に抜擢されてしまいます。

 役が役だけに弟にもクラスメイトにも言うことができず、また夢と希望を持って演じていると信じていたヒーロー役は実は金銭第一主義者と知って、前途多難なバイトの日々。苦悩する彩佳ですが、ヒーロー役の青年・風間駿の導きで、少しずつ「大切な人の笑顔のために「悪役」としてがんばること」を学んでいきます。

 ヒーロー役の風間は21歳で女子高生の彩佳からするとけっこうな年上で人生経験も上。そのため余裕を持ってリードしてくれ、ストーリーに安定感があります。

 弟のためにがんばりたいという夢と理想を求める彩佳の危うさを、現実主義の風間がちょっと方向修正させて導いていく。金銭第一主義者の風間にも彼なりの事情があり、風間とヒーローショーの経験を積む中で、彩佳はヒーロー役と悪役という表裏一体の関係を、また風間のことを徐々に理解していきます。その過程は意地悪な風間の突き放すような説教に彩佳が傷つきながらも意味を考え、進んでいくという形で描かれており、メンタル弱め自己犠牲精神強めの彩佳に好感を抱きます。

 恋愛というよりはパートナー関係が描かれており、好きになってからの葛藤やドキドキする描写があまりなく、恋愛要素は薄めに感じます。そこも欠点には見えず、女子高生と大人の恋愛ならこれくらい男性側が察しよく余裕持ってリードしていくのがむしろ自然なんだろうなと、余裕のない大人ですがそう思います。何よりこのパートナー関係が、舞台の上でのパートナー関係が舞台から降りても続くような形で描かれているのが素敵です。


kc.kodansha.co.jp


 もともと三月薫さんは絵が好きで注目していましたが(どういう絵かの説明が思いつかなかったので試し読みで確認を)、ちょっと変わったお話にもチャレンジしていると知り、今後も作品を追っていきたい想いを強めました。

桜庭さんを尊敬するたったひとつの理由

 あなたがまだ桜庭さんを尊敬していないのなら、あなたは桜庭さんを尊敬しなければならない。あなたがすでに桜庭さんを尊敬しているのなら、あなたは桜庭さんへの尊敬が足りない。

 われわれは桜庭さんを尊敬しているのではない。桜庭さんを尊敬させてもらっているのだ。


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 『BE BLUES!』というサッカー漫画において、桜庭さんは美しく巧みな(名前も桜庭巧美)ボールさばきのフォワードとして登場する。埼玉の天才少年として小学校時代から主人公・一条龍と互角のライバルだ。


(表紙画像は現在の桜庭さん)


 そんな天才・桜庭さんであるが、高校生となった現在、所属していたユースチームには上がれず、公立の高校サッカー部に属している。

 その理由は大きく2つあり、第1にあまりにも自己中心的な性格ゆえにパスが出せないこと。第2にオフ・ザ・ボールの動きが悪いこと(パスを出してもらえるよう相手のマークを外したり、スペースを見つけたりといった動きをせず、棒立ち)。

 これはフォワードとして致命的な欠点で、ここまでで桜庭さんを尊敬できないと感じた方もあるかもしれない。

 だが待ってほしい。この2つの明らかな欠点があるにも関わらず、桜庭さんは大会メンバーに選ばれ、活躍している。サッカーにおけるフォワードに活躍とは点を獲ることだ。桜庭さんはパスを出さずとも棒立ちでボールを待っていても、点が獲れる。そんなフォワードだ。



 それは桜庭さんの圧倒的なテクニックによって、それだけによって成り立っている。

 桜庭さんはパスを出さずとも強固なディフェンスをくぐり抜けて一人でシュートまで持って行くことができ、またマークを外さなくともボールをもらいうけた瞬間に相手ディフェンダーを抜き去ることができるのだ。

 他の多くのスポーツ漫画を見ても、こういった突破力があり独りよがりになっているキャラクターというのは珍しくもなく登場する。
 ただ、そういったキャラクターはたいていフィジカルに恵まれ、パワーで突破する者がほとんどだ。

 桜庭さんはちがう。桜庭さんはスポーツ選手としてどころか一般的に見ても身長が低く、パワーもなくスタミナもない。足も速くない。すでに見た通り、本当に桜庭さんはテクニックだけで突破しているのだ。

 それではわれわれが桜庭さんを尊敬するべきは、もとい尊敬させてもらうべきは、この技術なのだろうか?

 それもちがう。

 先に他のスポーツ漫画の事例を出したが、そういったパワー型の選手も桜庭さんと同じ2つの欠点を抱えていることが多い。特に1つ目の「パスが出せない」はスポーツ漫画よくあるパターンと思う。フィジカルで強行突破し、チームメイトを見下していたキャラクターが自分だけでは突破できない壁にぶつかり、仲間を信頼してパスが出せるようになる。パワー型の選手はしばしばこうした道徳的なストーリー展開とセットで現れる。

 『BE BLUES!』というサッカー漫画において、桜庭さんは第1巻から登場しているが、それでは桜庭さんは上の2つの欠点をどのように克服したのだろうか?

 結論としては「2つとも全く克服していない」だ。桜庭さんは小学生の頃と同じようにパスが出せずオフ・ザ・ボールの動きもひどいままだ。

 パワーもスピードもない選手が、テクニックだけで強行突破し続ける。桜庭さんのプレーはロマンに満ちていたが、ここでパワー型の選手と同様、桜庭さんも一人では突破できない壁にぶつかる。


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 ただでさえスタミナに不安のある桜庭さんは今大会スタートメンバーとして出場し、案の定序盤こそ調子よかったものの、スタミナ切れに陥る。普段の強気な発言も出せないほどに息が上がり、グラウンドに座り込んでしまう桜庭さん。

 ついに桜庭さんにも2つの欠点を克服し、「成長」する機会が来たのか? 『BE BLUES!』前週までの展開は多くの読者がそのような感想を抱いたが、しかし桜庭さんは桜庭さんだった。
 イギリスがEU離脱しトランプ氏が大統領となり天皇の生前退位が決まっても桜庭さんは桜庭さんだった。


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 ゴール前に堂々陣取り、パスを求める桜庭さん(※はじめて見る方は驚くかもしれないが、これが桜庭さんのパス待ち姿勢である)。

 サッカーにはオフサイドというルールがあり、そこまでロングボールでパスを出すことはできない。困惑するチームメイトたち。

 そのとき誰かが気づいた。まさか桜庭さんは、自分のところまでボールを運んで来いと言っているのか……? 残りの体力で、確実にゴールを狙える位置に陣取って……? もう言葉を放つ余裕もないが、桜庭さんの目は本気だった(次週に続く)。


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 人はみな大人になるにつれ、自分を世界に合わせることを学ぶ。そしてそれを「成長」と呼んで納得し喜んでいる。しかしごくまれに世界を自分に合わせるようなことができる人間が存在する。

 桜庭さんを尊敬するとしたら、もとい尊敬させていただけるとしたら、そのテクニックを尊敬するのではない。パスを出さない。マークを外そうとしない。自分を世界に合わせようなんてしない。道徳的な物語に自分を押し込めようとしない。そのプライドをだ。桜庭さんは常にボールと尊敬を求めている。

 次週、桜庭さんのところまでボールを持って行けば必ずボールをゴールに入れてくれる。「成長」しない桜庭さんが、チームを勝利に導くのだ。


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2016年に読んだ漫画ベスト5



 ついついツイートしてしまったため(「つい」と「ツイ」をかけているよ)今年も年間ベスト漫画エントリーを更新するはめになりました。

 ぼくの場合1つをじっくり読んで咀嚼するタイプなので、ランキング形式で紹介するブログみたいなことはうまくできないな~とようやく分かってきたのですが。今年は世の中に流されず年間総括やまとめランキングはもうやらないぞ~と決めていたのですが。世の中いろいろあるものです。

 選出に当たって例年やっている完結作品と新規作品とそれ以外を別に枠を設けて選ぶ形式の方が本来正確なのですが、個人のランキングが正確である必要は無いし、忙しくて数読めてないから5選で充分だし、何よりもう選んでしまっているのでこれで強行します。

 イカ、よろしく順不同。




 今年の漫画はさておき、今年の漫画雑誌としては”あの”週刊少年サンデーが超面白くなってきた話題に尽きる。尽きるでのはないでしょうか?
 『だがしかし』や『競女』など目を引く(いろんな意味で目を引く)漫画がアニメ化し、新人育成に力を入れるという新体制の方針は一先ずうまくいっているように感じます。
 一つの作品が安定して面白い軌道に乗るまで、継続して連載できる人気を獲得するまでをリアルタイムに見届けるのってすっごく面白くて、漫画誌を読む大きな理由になっていますが、新人のちょっと変わった新連載が次々に出てくる今年のサンデーはそういう意味で本当に楽しかったです。

 さてサンデー新体制は新人育成だけではありません。かつてのサンデーを支えたベテラン勢も新規に連載を始めました。
 中でも『天使な小生意気』という、これで主人公が黒ロンだったら言うことなしの漫画を連載していた西森博之の新作は主人公が黒ロンで第一話からスタンディングオベーションでした。


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 黒ロンお嬢様と一般人では格が違いすぎるという、正しい黒ロン観から作られた『柊様は自分を探している。』は理想的な黒ロン漫画で、これが読めるのがこの一年の水曜日、最上の喜びでした。


  • 『じけんじゃけん』



 別に『だがしかし』が始まりと言うわけではないのでしょうが、『だがしかし』のヒットからやたらハイテンションで奇妙な趣味持ちのセクシーな先輩と戯れるショートギャグ漫画を目にするようになった気がします(ex.『手品先輩』)。

 『じけんじゃけん』もその一つで、ただその先輩が黒ロン黒セーラー、題材がミステリという点を持ってこのジャンル最強に推す一作です。このジャンルあんまり広くないでしょってのは置いといて。

 先輩が九州弁というところも味を出していて良いです。たぶん方言がないと上品すぎて変な趣味と合わせが悪くなるような気がしますし、それを含めて黒ロン黒セーラーのパワフルアクティブな先輩というキャラクターを描くのがめちゃくちゃ巧いです。

 黒ロン美人な先輩がばかみたいな子どもの遊びにつきあってくれる。むしろ率先して遊びだして自分がついて行くこのジャンルはきっとノスタルジーが売りで、だから中高生の頃あほほどミステリ読んでた人ほど、そして黒ロン大好きな人ほど『じけんじゃけん』を気に入るはずです。

 このジャンルにおける『だがしかし』のすごいところとして、ただの永遠の日常ショートギャグではなく、どこか終わりの空気を感じるところが、時にドキッとさせ、普段のギャグ回の読み心地にも影響するという技巧があるので、『じけんじゃけん』もショートギャグにもう一つ加えて化けてくれるともっとうれしいなあと思っています。ミステリだからどんでん返し用意するのなんかはどうでしょう。


  • 『響 ~小説家になる方法~』



 又吉直樹芥川賞。続く村田沙耶香の受賞作も純文異例のヒット。そしてボブ・ディランノーベル文学賞と、今年は純文学の話題が次々出てくる珍しい一年でした。
 こんなときに『響 ~小説家になる方法~』も芥川賞編をやっていたというのが何ともタイミングよく、毎週が楽しみな漫画でした。

 響という少女の絶望的な才能の描き方。登場する作家や同級生のキャラ立ち。

 そして何と言っても響を中心に動き出すストーリー展開。1巻2巻あたりからミスリードが巧い漫画でしたが、今年も一つ大きなトリックを仕込んできました。見事にだまされましたが、改めて見返すと読者が意識をそちら側には向けないよう、しかし存在だけははっきり示しているというフェアなミステリで、相変わらずミスリードが抜群に巧いです。


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 『ワールドトリガー』は大規模侵攻編が終わり、しばらくは日常パートの落ち着いた話が続くのかと思いきや、まさかの大規模侵攻編後の方が面白いというものすごさ。

 大規模侵攻編は現時点で最も強い敵と戦っていたパートであり、現在のB級ランキング戦編ではそれと比べればはるかに弱い相手と戦っています。ついでにB級ランキング戦編では味方サイドのB級隊員たちのチームバトルが主となっていますが、主人公たちは大規模侵攻編の前にすでにA級隊員との戦闘も経験しています。

 以上の事柄だけでも、インフレーションが止まらない週刊少年ジャンプのバトル漫画の中で『ワールドトリガー』が特殊な位置にあることが伝わると思います。
 加えて誠偽りない平凡主人公。基本的には汎用武器での戦い。手足がよく切れる戦闘。『ワールドトリガー』の特殊な要素はまだまだあります。

 現在のB級ランキング戦編がすごく好きで、チームバトルの新鮮な面白さ。多すぎるくらい多いキャラクターを決して多彩とは言えない絵柄で描き分ける(戦闘スタイルや性格、趣味、癖等で)技術。命のやり取りはなく、目的は別にある戦闘。バトルよりはスポーツに近い感覚で、とても『Splatoon』っぽい。

 緊迫感のないのほほんとした者もいれば、好戦的な者もいて、ドラマが薄い者もいれば勝たなければならない者もいる。強いやつが勝つというシビアな現実があり、その中の創意工夫があり、そういった努力をできない者もいる。ニュートラルな描き方のキャラクター群像劇には、はまればはまるほど面白い。




 少女漫画の界隈では超有名からは一歩下がる位置にいた咲坂伊緒も、今年は『アオハライド』・『ストロボエッジ』の映画化が決まり、堂々と看板を張るポジションに到達したと思います。
 その新作『思い、思われ、ふり、ふられ』は過去作と比べても飛び抜けて巧い。

 高校生4人を中心とした恋愛ストーリーで、主役の朱里と由奈が対照的な性格でありながら仲良くなり、互いに影響を受け合います。

 朱里は恋愛経験値が高い女子で、少女漫画の主役としては珍しいタイプ。朱里サイドの話はテクニックで恋愛を考えがちな朱里が想定外の恋に落ちていく様が本当に可愛いです。

 一方、由奈は自分に自信がなく、恋愛の経験もない一般的な少女漫画の主役タイプ。アクティブな朱里に憧れて一歩踏み出す由奈サイドの話は多くの共感を得られるところと思います。

 朱里に憧れて一歩踏み出した由奈の勇気に、今度は朱里が影響を受ける。相互に影響し合う2人の友情と恋愛の行方が非常に楽しみで、高校生のきらきらとした恋愛ストーリーがくらくら目眩のするくらい美しいです。

 ずっと少女漫画の感想テンプレートである「胸がキュンキュンする」って感覚が分からなかったのですが、『思い、思われ、ふり、ふられ』を読んではじめて分かりました。恋するキャラクターと気持ちが一致して、恋愛を疑似体験するってことなんですね。朱里の恋も由奈の恋もすごく応援してて、がんばれがんばれってなるし、読んでるこっちまで胸がドキドキしてきます。

『Life Is Strange』 何度でも選び直せる選択肢の重さ

 『Life Is Strange』をクリアー。もともと『ペルソナ5』をがっつりプレイできる時間を取れないから短い手軽にできるゲームを探していたはずなんですが、確かに短いけれどその代わりとんでもなく重いゲームでした。ゲームやって吐いたの初めてだよ。どうしてこうなった。



 『Life Is Strange』は時間ループ系のゲームです。プレイヤーはアメリカはオレゴン州の18歳、マックス・コールフィールド(通称:マックス)を操作します。物語の序盤、マックスは突如時間を戻す能力に目覚め、その能力を用い、旧友のクロエと一緒に街の謎を調べていきます。


www.jp.square-enix.com


 ですが『Life Is Strange』は上の説明から多くの人が想像するような内容のゲームではありません。多くの時間ループ系の作品とは趣向が大分異なります。
 要するに『Life Is Strange』は、みんなが幸せになる「true end」を掴み取るために何度も時間を移動するようなゲームではありません。

 『Life Is Strange』にはアドベンチャーゲームで言うところのバッドエンドや詰み、不正解の選択肢というものがありません。基本的にはプレイヤーはどの選択肢を選んでも、あるいは選ばなくてもゲームオーバーには至らずそのまま進められます。
 これは一見簡単そうに思えますし、ゲームとしては簡単なシステムと言って間違いありませんが、しかし精神的には全く簡単ではありません。

 例えばAという選択肢を取ることで誰かが死ぬことが分かったとします。
 プレイヤーはその誰かを助けるためにA以外のBという選択肢を見つけて、その誰かの犠牲を回避できます。
 ただ、前述の通り回避できなくてもゲーム進行上は全く問題ありません。その場合プレイヤーは自分が本来助けられるはずであった誰かを殺したという罪を背負って、その後もゲームを続けることになります。

 ここで2つの疑問が生じると思います。ひとつはその例で言えばBを選んでいれば問題ないし、多くのプレイヤーはそうするのではないか、というもの。もうひとつは名前もないキャラクターの無機質な死くらいで罪なんて大げさではないか、というもの。

 前者に関しては、Bという選択肢がその場ですぐに分かるものであれば、そうでしょう。ただ、『Life Is Strange』では「Aという選択肢を取ることで、誰かが死ぬことが分かる」のが数時間後・数日後、場合によってはエピソードを跨いでの判明ということもあります。当然、マックスの時間を戻す能力が届かない範囲です。

 後者については2つあり、まず『Life Is Strange』で死ぬのは名前のないキャラクターだけではなく、かなり主要な、マックスの身近な人間も死にます。そしてその人が死んでもゲームオーバーとはならず、進行上は問題ありません。
 そしてもう一つは、例え名前もないキャラクターであっても無機質な死に感じさせない、『Life Is Strange』のエモーショナルな細部の造りがあります。

 『Life Is Strange』においてプレイヤーはマックスを操作して事件を調査することになります。プレイする中でプレイヤーはマックスの性格をよく知ることになり、マックスとして行動することになります。

 探索の中でマックスは周りのいろいろなものに興味を示し、時には茶目っ気あるコメントをしたり、時には勇気を出していじめを阻止しようと努めます。
 探索パートだけではありません。ムービーシーンでのマックスの発言・行動。マックス視点から映る街の情景描写。心情を表すような音楽。探索中に確認できるSNSでのやり取り。いつも付けている日記の内容。それら全てがマックスの性格や周りの人間との関係を知る情報です。
 こういった情報を知れば知るほど、プレイヤーはマックスであればどう行動するか? マックスにとってどういう意味のある選択かを考えるようになります。なってしまいます。

 メタ視点にいるプレイヤーとしては名前もないキャラクターの死であっても、マックスにとっては目の前の人間の死です。そのマックスが、「わたしのせいでこの人が死んでしまった……」とコメントするのです。まあ、普通の人なら時間を戻して助けるでしょう。

 そうしてプレイヤーは時間を巻き戻すことで助けられる人たちを助ける、助けようと思います。それはおそらく『Life Is Strange』以外のゲームではプレイヤーが取らない行動、抱かない想いです。そしてそれを生じさせるのが『Life Is Strange』の大きな狙いです。

 『Life Is Strange』において常に助けられる人を助けようとしてきたプレイヤーは、ある重要な局面で、本来助けられるはずだった犠牲者がいたことを知り、また助けようとしても助けられない人に出会います。
 それまで時間を巻き戻すことで上手くやってきたプレイヤーは、そこで自分の選択の愚かさや自身と時間能力の無力さに直面し、そしてそれでもゲームは進行します。これが『Life Is Strange』の精神的に簡単ではない、つまりはつらいところです。

 『Life Is Strange』は多くの時間ループ系作品のように、大がかりな仕掛けや大胆なトリック、意外な犯人といったミステリ的な要素が売りのゲームではありません。むしろある程度この手のゲームをやってきた人にとっては、似たような展開は既に目にしているようなものと思います。20時間足らずでクリアーできる長さのため、内容的なボリュームも長さを活かした仕掛けもありません。
 しかしそうした時間ループ系作品としての面白さが不足していても、そのおかげで、『Life Is Strange』は選択肢の重さが他のアドベンチャーゲームと比べて圧倒的に重いです。

 『Life Is Strange』日本語版のキャッチコピーは「人生は選択肢だらけ でも もし 選び直すことができたら」です。選び直すことができたら。この後に続く言葉に、マックスもプレイヤーもはじめ希望を見出します。
 しかし上に書いたようなゲーム体験から、次第に、徐々に、「選び直すことができても……」と思うようになります。

 true endを用意しなかった『Life Is Strange』は最後の最後、選択肢も与えてくれません(エンディングの静かなこと!)。そしてゲームは終わり、「Life Is Strange」というゲームタイトルへとプレイヤーは戻ってきます。そしてそこから先の選択はマックスに、プレイヤーに任されていることを悟ります(今ここ)。

今週のマガジンに『スクールランブル』最終回が載っているという話

 今週の週刊少年マガジンに『スクールランブル』番外編が載っています。8年ぶりに帰ってきたスクランの、これ以上描くと蛇足になるめいいっぱいの事実上最終回であったと思います。


natalie.mu


週刊少年マガジン 2016年53号[2016年11月30日発売] [雑誌]

週刊少年マガジン 2016年53号[2016年11月30日発売] [雑誌]


 スクランは高校生の頃に読んでいた漫画で、作中のキャラクターと同年代であったこと。また当時のメジャーどこ少年誌ラブコメでは珍しく露骨な男性向けエロ描写のないことから、「スクランはギャグ漫画だから」というエクスキューズを持って俺たちが堂々と読めるラブコメであったと記憶しています。

 スクラン最終回(あえてこう呼ぶ)は、6ページしかなく、内容は本当に大したことない。

 沢近たち元2年C組の女子が、何度目かの同窓会で久しぶりに集まる。高校生の頃を振り返って、「あの頃はよかったね~」みたいに話している。それぐらい。
 でも会話の端々から感じられるのは、あの頃はよかったとい言いながら、今もあの頃と同じようなことをやってるんだな、ということ。
 大人になって立場や環境が変わって、また行動範囲が広がって、言動が大人の振る舞いの枠に移っただけ。本質的には彼女たちはあまり変わっておらず、まだ同じようなことを続けているように見えます。

 それはいつまでもスクールなランブルをぐるぐる回っている俺たちに、大人になってからも形を変えて同じようなことはできるし、やっていていいんだよと語りかけるかのよう。

 中高生が主役になることの多い日本のフィクションはモラトリアムな問題を抱えていると指摘されることもあるけれど、だからこそスクランのような永遠のスクールライフコメディの作品で「大人になってからも楽しいよ。あの頃があったから今幸せだよ」と言ってもらえるのはとてもすてきなことだと思う。俺たちもきっと、スクランを読んでいた日々があったから今があるし、そう思えるのは幸せってことなんだ。