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黒髪ロング表現、その最先端を走る『ぬらりひょんの孫』

黒髪ロング 羽衣狐


(『ぬらりひょんの孫』第八十八幕「撃墜」扉絵)

純粋なる黒

その美、

この世のものならぬ


不自然ない全体の調和、着物を抱くように持つ腕、その中に詩を配置する構図、興に満ちた表情、目線、顔の傾き、細長い指の動き、そして白と黒のコントラスト・・・

上下枠も黒に合わせたこの扉絵の、すべてが完璧

「この世のものならぬ美」、「純粋なる黒」とはもちろん羽衣狐さまのこと。

かつてベジータさんは自分を純粋な悪と言いました。羽衣狐さまに遠く及ばない。

純粋なる黒・・・羽衣狐さまのために在る言葉だ。

そしてその美しさを出す「黒」の表現は完成されている。感激。

  • セーラーor和服?

およそ黒髪ロング好きには二派閥あって、つまりはセーラー派と和服派である。

これについては未だ学会でも完全に結論の出ている問題ではなく、フェルマーの最終定理まで解決した今も様々な議論の交わされ研究が続いています。

ちなみに私は中立派で、普段はセーラー、たまに着物がベストだと考えています。

常に和服だと美しさがあまりに派手なため、緩急をつける感じで普段は黒セーラーでシックに決めるべきでしょう。

純粋な髪の美しさのみをもって武器とする黒髪ロングにとって、鮮やかな紋様の和服はそれを引き立てる最強装備。

しかしそれは時に過度の派手さともとられかねません。私が常に和服を必ずしも良しとしないのもそのためで、あくまで黒髪ロングにとって最も大切な髪の美しさがメインでなければ意味がありません。


 と こ ろ が


セーラー服に着物を重ね着・・・その手があったか!?
セーラー服に着物の重ね着、これは鮮やかさを過度の派手さに行き着く手前で止める最良の選択かもしれません。

黒セーラーにその身を包みながら和服の鮮やかさも採り入れる。

これは特殊な柄の服を用いたり、背景の組み合わせでバランスを図ったり、そういう技術では、おそらく届かない。

黒髪ロング表現として純粋に黒と白のコントラストを追究した椎橋先生ですが、また新たな表現を創出してしまいました。これは実験的というレベルをはるかに超え、すでに完成されている。つくづく『ぬらりひょんの孫』は黒髪ロングの最先端を走っている作品だと痛感しました。

重ね着の様子も極めて自然でそういった意味においてもこの扉絵は完璧。

週刊連載という厳しい時間制約の中でこれだけの黒髪ロングを描く筆致、感服します。