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無個性主人公なんてもういらない

注)以下の文章は最近の無個性主人公についての私の見解を少年マンガを中心に見たものです。文中では少年マンガ・少女マンガをかなり大胆に分けていますが、もちろん一義的に表せるものでないことを承知の上です。不快に思われないようはじめに述べておきます。



最近の作品は主人公のキャラが弱いというか、主人公に関する説明もないままかわいいヒロインを追って話だけが進んで行ってしまうものが多いように感じる。私はこのブログでも何度かふれたが、無個性主人公が嫌いだ。メインである主人公のキャラの薄さが目立つ作品には戸惑いを感じる。
ところが現実どの作品でも似たりよったりの性格な主人公を見かける。うーむ、そんなにいいもんなのか?無個性主人公って?
無個性主人公のメリットとして挙げられるのが、「感情移入しやすい」こと。ではこのメリットを崩すことで無個性主人公不要論を主張したい。


  • 感情移入ってなんだ?

先に定義しておきましょう。感情移入という言葉は、「キャラクターに感情移入できる=そのキャラが好きで応援している」くらいの意味でしばしば使われているように思います。しかしYahoo!辞書からコピペしてくると、感情移入とは「自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用」とある。以下では後者の定義に従います。

  • 少女マンガの主人公は無個性じゃない

例えば『こどものおもちゃ』の主人公は映画にドラマに活躍する天才子役ですし、『溺れるナイフ』や『ハンサムな彼女』の主人公のように、モデルとして才能にあふれている例も珍しくありません。もちろんそんな子ばかりではありませんが、基本的に少女マンガの主人公は作中で「かわいい」と評されることが多いです。無個性主人公がクラスでイケメンなんて言われた日には無個性じゃなくなることを考えると、これはちょっと不思議です。
しかも少女マンガはより感情移入を必要とします。少女マンガの特徴として、非常に感情移入に重きを置いていることが挙げられるのです。詳しくは後日別記事にしますが、女の子のマンガ感想でよく聞く言葉は「泣ける」で、それはそれだけ作品世界に入り込んでいるからです。作品世界に入り込んでいるということは主人公と自分との一体化=感情移入をしていると見ても問題ないでしょう。
にも関わらず少女マンガの主人公が無個性でないことは、無個性でなくとも感情移入が成り立つことを示しているのではないか?実際ヒットした少女マンガをみると、その多くが無個性主人公でないことが分かります。

先ほど少女マンガを読む女の子について作品世界に入り込んでいると評しましたが、対して少年マンガを読む男の子の視点は作品の外側にあります。『ワンピース』大人気で私も好きですが、ルフィに感情移入したことはありません。もちろんここで言う感情移入はルフィが好きだとか応援してるとかじゃなくてキャラクターとの一体化現象を意味しています。
『ワンピース』に出てくる敵に怒りを覚えたことはありますが、それは単に敵に怒れただけで、敵と戦うルフィに感情移入したわけではありません。ここで言いたいのは、感情移入できないルフィは主人公として失格ではなく、少年マンガの主人公として成功しているルフィは感情移入できない主人公であるということです。
ルフィを例えに出しましたが他のマンガでもそうです。好きな少年マンガの主人公の多くは別に感情移入はしないけどいい主人公だなって思います。それはなぜかというと、少年マンガの主人公に感情移入なんて求められていない、ということです。
少女マンガはかなり意図的に読者の感情移入を誘う作りをしていますが、少年マンガの場合は読者が勝手に感情移入してくれるのはいいけど、そこは最重要ポイントではない。なぜなら少年マンガは物語をメインにしているから。求められているのは壮大なストーリーやカッコいい描写。大きな物語を描く少年マンガは感情移入に重きを置かない。

  • いい主人公の条件とは?

主人公の条件として感情移入できることは絶対でないことを指摘しました。では何が条件なのか?それは始めに否定した感情移入の定義の通りです。「そのキャラが好きで応援している」つまり好感がもてることです。友達になりたいとか頼れるやつとか様々な言葉で表されますが、まとめると好感がもてるに落ち着くことでしょう。
読者から好かれる主人公であれば、一昔前のヒーロー型主人公であれ今時の草食男子であれ何でもかまわない。そう考えると、無個性主人公はクセの強い主人公を作って読者に嫌われることからの逃げでしかないように思います。

  • まとめ

最近の主人公はパーソナリティーに欠けています。もっと個性を!