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長「過ぎる」物語の意味、あるいは長「過ぎる」『まおゆう』のすすめ方

『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』


『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』(以下『まおゆう』)が大人気です。

  • 『まおゆう』はなぜ読まれないか?

実はこれ、「興味はあるけど読んでない人」が今ものすごく多いと思うんです。もちろんほぼ全ての物語って、観てるor読んでる人より、そうでない人の方が圧倒的に多くて、一番広まりやすく面白いネタだけは皆知ってるという状況だと思いますが。そうだとしてもアニメや漫画やゲームや映画やその他色々より、確実にしかも圧倒的に、まおゆうは「興味はあるけど読んでない人」が多いと思います。それは有名になったのが最近であることだけでなく、おそらくはネット小説という特殊な物語の形態ゆえに。

で、「興味はあるけど読んでない人」が、なぜ読んでいないのか?その理由として以下の3つが最大だと考えます。


 1.文章である

「アニメではない」・「漫画ではない」と言った方が分かりやすいでしょう。ポリシーとか好みとかで、漫画は読むけど本は読まないという人もけっこういます。これは一概に悪いこととは言えません。膨大な量の物語が存在するけれど時間は有限なわけで、その中から選ぶとなるとそういう取捨選択も必要。程度の差はあれ誰しもやっていることです。ただ『まおゆう』は会話で進んでいく読みやすい文章なのでラノベ読む人にはすすめられます。


 2.長すぎる

単純に長すぎる話って避けられがちですよね?漫画なんかでも「10巻以内で終わる名作教えて!」みたいなスレまとめを年に何度かは見かけるし、絵のある漫画でそれなのだからテキストはもっとハードル高いはず。


 3.Web上に掲載されている

これは単に「ネットで長時間文章を読むのは目が疲れる」というだけではありません。ネット接続すると定期的にやることがあります。メールとかブログとかニュースとかmixiとかのチェックです。最近ではツイッターなんかリアルタイムでどんどん更新されます。ここで2と関連して起きる問題として、こういうのチェックしてるとけっこうな時間が経ってしまって結局読まずに終わってしまう、と。

やや脱線ですが、多くの人は「ネット上で長文を読むのに慣れていない」んですね。やや大げさに言えば文化的に。ちょっと古い話ですが『電車男』なんかが、ネット上なら無料で読めるコンテンツであるにも関わらず、わざわざ紙で出版した本にお金を出した(売れた)事実からもそれは明らか。

  • 3点の解決策

1は仕方ないかなーと思います。主義を曲げさせることになるかもしれないし。とりあえず今回は、1の理由から『まおゆう』読まない人には、漫画化なりアニメ化なりしたら読んでみてくださいとしか言えません。


3は後者の問題はiphoneiPad予約した方なら解決できます。

前者は、以前「黒髪娘」のときにも言ってますが、結局は「印刷」「Kindle」の2択。物語をWeb上から引き離さないと解決されません。しかしまおゆうの場合は『黒髪娘』の10倍くらいあるので印刷したら逆に読む気が失せるかも。そんなわけで私としてはKindleプッシュ。

まぁ実は今、書籍化計画が進んでいるわけで、上手くいくようなら待てばいいだけなんですが




最後に2ですが……結局これだよなー。前述したように2とも関連した問題ですが、長い

実は1と3だけなら気合いで乗り切れるケースもわりと多いんですね。その気合いってのがどこから出てくるかといえば、外的な評価で……ただし、短ければ。

長い話を読み続けるには、その気合いを継続させる必要があります。そうなると気合いが大きくないと無理。具体的には「なんか面白いらしいから読むか」じゃ無理。好きな女の子からすすめられた」くらいじゃないと持続しません。
しかし好きな女の子でないにせよ、『まおゆう』は既に多くの有名な方々がプッシュしています。具体的には私が確認しただけでも、蝉丸Pさん・RAPさん・敷居さん・きくちさん・いずみのさん・海燕さん・ペトロニウスさん他多数。

で、けっこうな数が支持しているので、多くの人はそこそこの興味は持ってるんじゃないかと思います。「これ何だろ?」「面白いみたいね」「読んでみようかな」程度は。

しかしどうしても長い話なので、これでも気合いを持続させるほどのパワーが足りない。つまりちょっと気になって読もうか迷ってるけど長いからやっぱり読んでない(←今ここ)……って人が多いんじゃないか?そしてこの問題、書籍化しても残っちゃうんですよね(*3と関連した部分は解決するけれど)。


長い話をすすめるに際し、「長い」の緩和が必要です。


「長い」の緩和とは、長いということから物語を避けようとするのを食い止めること。ただし「こんなに面白いよ!面白いから長くても読もう」では限界があります。そもそもここまでくると紹介文自体が食傷気味じゃないかとも思います。そこで私は別のアプローチから「長い」の緩和を図ることにします。


長いことには意味がある、というお話。



  • 長過ぎる話、長「過ぎる」話


例えば、『CLANNAD』というゲームがあります。

CLANNAD メモリアルエディション 全年齢対象版

CLANNAD メモリアルエディション 全年齢対象版


元はPCゲームですがアニメ化もした有名作品です。「『CLANNAD』は人生」で有名なアレです。

この友人で実際にゲームの方をやった人が数人知っているんですが、かなり長いようです。ゲームやってない私の憶測と断りを入れなければなりませんが、『CLANNAD』が長い理由は、人生であるからだと思っています。

つまり学園生活を送る他のゲームとは内包する時間が異なることをプレイヤーに感じさせるため、意図的に他のゲームより長い時間プレイさせようとしているのではないか?未プレイの作品に対して憶測ですみませんが、CLANNAD』は「長いけど面白い」ではなく長さと面白さはくっついたものではないか?


また『ディスコ探偵水曜日』という小説があります。

ディスコ探偵水曜日〈上〉

ディスコ探偵水曜日〈上〉

実は私の「水星」というHNもこの小説のキャラクターからとってるくらい大好きなのですが、あまりこれを他人にすすめたことはありません。というのもやはり長いから。ハードカバーで上下巻、合わせて千ページ近くあるというだけで読む気が失せる人が多いからです(プラス作者の文体のクセが非常に強いのと作者の他作品を読んでおいた方がいいなどの理由もありますが)。この小説の書評でこんなものがありました(太字は私)

徹底してポジティブへと向かっていく本書であるが、途中で降りかかる困難は酷く残酷だ。プラスからマイナスへのふり幅の大きさはかつて無いほど大きい。上述したようなジャンルを超越していく展開といい、このふり幅といい、何もかもが極端で、だからこそ読者に影響を与えることができる。本書が長大なのも、この極端さを表現する為には必要なものなのだ。

最終的に辿り着くとてもシンプルな答えを導く為に、今の時代ではこれだけの言葉を費やさなければならない。そう舞城王太郎が感じているであろうことが、とても現代に対して示唆的であると思うのは僕だけだろうか。
ディスコ探偵水曜日 舞城王太郎 A  - 棒日記VI -point of no return-

おっしゃる通りでここでこれ以上付け加えることはありません。『ディスコ探偵水曜日』は長いですが、その長さには意味がある。


2つの長い物語を例に出して言いたかったのは、「長いことには意味がある」ということ。無意味に長いわけではないということ。一方で「無意味に長い」「無駄に長い」は言い過ぎとしても、長過ぎる物語というものは確かにあります。例えば以前こんな話がありました。


連載漫画ひきのばし、そのふたつのパターン。 - Something Orange


目標地点までの道のりをひたすら冗長化させ続ける最近の連載漫画に対する異議の記事です。

この記事については納得しかねるのですが(到達点までの長さはラストのための「タメ」になるし、後になってキャラが立つ・むしろ引き延ばしの部分に人気が出たりするなど結果的に良くなることもある。結果的に長過ぎる話になってしまったためにオプションで色々良いものがついてきたケースもあるはず。あと『絶チル』好き)それでも、無意味とまでは言い過ぎでも、長過ぎる話はあります。「語りたいもの」を主に捉えれば、それは確かに長過ぎると言わざるを得ない、ということ。


その文脈で、先の2つは長いことにも意味のある作品の例です。これらにとって長過ぎるとは、長「過ぎる」です。長いことと物語がくっついてます。


そして『まおゆう』も同じです。長過ぎる話ではなく、長「過ぎる」話です。そう、『まおゆう』の長さには意味があります。


意味とは、「主人公らが目指しているものが長い道のりであること」「群像劇であること」という都合上の理由だけではありません。「先へ先へと見据えた物語であること」です。これは先にリンクした記事の指摘していた、最近の連載漫画における引き延ばしとは異なります。そもそも他の多くの物語とは目標ポイントが違うからこそ、到達に時間がかかるのです。
が、ここで重要なのは『まおゆう』が長いからこその物語だと知ってもらうことで、私としてはここまでで十分です。目標ポイントの話やここからの説明は他の方の紹介に任せます。

  • 他の方の紹介記事(*最後のは少し途中展開のネタバレも)
  • 最後に

「長い」についての記事が長くなってしまった件。願わくばこれが長「過ぎる」記事であることを。