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遊びの思考停止について

雑記 Togetter

 Togetterまとめ - 酒・カラオケ・ボウリングに代替する遊びを考える


先日このようなまとめをしていたが、二次会に限らずある年齢を超えた大人数が遊ぶとき、カラオケかボウリングという選択は圧倒的に多い。これらは「あまり体力を使わず(体力差が出にくく)、大人数が一緒に遊べる」・「施設設備が充実していて、そこでは人数の入るだけのスペースが確保されている」の2点で優れている。が、一番大きな理由はすでに遊びの定番としてイメージが定着していることではないか?要は「無難だから」・「他に思い浮かばないから」という理由からそれらは選ばれるわけだ。

上で述べた通り、この浸透してしまったイメージを覆すには何らかのブームを起こす必要があるのだが、それは別として「無難だから」・「他に思い浮かばないから」という理由から遊びが選ばれる現状はなんだか怖い。


子どもの頃までさかのぼると、私の世代で遊ぶものと言ったらスマブラマリオカートが定番だった。今でも生きている。私はスマブラはそこそこできるもののマリオカートはからきしで、こういったパーティゲームに対し常に選ばれるほどの魅力を感じていなかった。楽しくなかったといえばウソになるし実際楽しかったのだが、「誰と遊ぶか」が大事で「何を遊ぶか」はどうでもよかったのかもしれない。しかしどうでもいい些細なことであっても、そこで考えないことは問題だと思う。



また昔こんな発言をしていたが、この「人の家まで来て漫画読み出すやつ何なの?」という発言をした人は、誰かと遊ぶ際にはその人と一緒に何かをしなければならない、それが遊びだと考えていたのだろうと推測する。これは少しノイズの多すぎる話だが、私が言いたいのはこういった固定観念も定番の遊びを重ねることで形成されるのかもなーということだ。


どうも遊びというものは、少人数であれば共通のマイナーな方向への選択が出るが、大人数では定番が決まってしまうようだ。それは大人になるにつれ「パーティーゲーム→カラオケ・ボウリング→酒→酒→酒→……」のような道をたどるイメージがある。


自分の欠落を棚に上げて、若者の遊びにはもっと創造性が必要だと思います(キリ とは言い出しにくいが、せめて一般的な意味での遊ぶものに幅がほしいとは思う。仮にそれらが全て一過性のブームに終わり、長生きする遊びでないとしても、そうやって動いていくことは決まり切った定番の遊びばかりの現状よりもよっぽど健全な姿ではないか?


まずは遊びを考えることが、日本の二次会市場における酒・カラオケ・ボウリング寡占への新規参入問題の解決につながるのではないか思う。