なぜ幼馴染ヒロインは衰退したか?

少し前の話になるが『ゼーガペイン』というアニメを観ていた。そこでまず驚いたのがメインヒロインが幼馴染ということだ。幼馴染ヒロインは近年減少傾向にあり、今やメインに置かれることはほとんどない。


大半の物語において日常/非日常に分けた内の非日常の方がその主たる舞台となる。よくある「巻き込まれ型」の話は、日常にいた主人公が何かをきっかけに非日常の世界にシフトしていくことを意味する。

さて、ここで物語の舞台は非日常となるが、幼馴染は日常にある。したがって物語の進行につれてその登場は減り、いわば「空気化」する。一方でメインとなった非日常の世界においてもしばしば「華」として女性が出てくる。その登場は幼馴染とは逆に非日常がメインになればなるほど増える。特に物語が長期化した場合、読者の中で両者の地位は逆転し得る。


この問題に作り手はかなり苦労していたと思われる。最も有り得る解決法としては、定期的に日常/非日常の切り替えを行うことで主人公が日常を足場にしている事実を繰り返し強調することだ。これは物語が大規模になると日常との距離が開き、難しくなる。

もうひとつは幼馴染が非日常に来ることだ。これはスポーツものならばマネージャーという丁度いいポジションがある。バトルものなら共闘路線か「囚われの姫君」かだ。前者はその展開に至る説明を必要とし、受け手が納得できるものにできるか否かが勝負となる。後者も同じ問題を抱えている。それに加え後者は(メイン視点である)主人公と行動を共にできるわけではなく登場に制約があるのにも関わらず、ここにきて日常は完全に切り離されるという問題も生じる*1


そういうわけで幼馴染ヒロインは非常に難しい。しかし昔の物語は苦戦しつつも何とか帳尻合わせようとしていたのに、最近ではすっかり幼馴染ヒロインを諦めてしまった感がある*2

これは作り手からすれば既に親密な関係にあるよりは出会いから関係をつくっていく方が描きやすい、話が作りやすいということだろう。受け手からすると地域コミュニティが薄れ、幼馴染というもののリアリティが低下し、それよりは持たざる主人公が突如現れた非日常ヒロインに連れて行かれる方が入りやすくなったのかもしれない。


そんな中『ゼーガペイン』が幼馴染をメインヒロインに置けたのは、幼馴染的かわいさをしっかり押さえていたことはもちろん、大規模な話なのに日常/非日常の切り替えがコンスタントになされていたからではないか?

ゼーガペイン』は2006年放送当時には早過ぎて今になって時代が追いついたと聞くが、幼馴染ヒロインがメインを張ってしかも広く支持される作品というのは、まだ時代が追いついていないようだ。

*1:例えば『ARMS』は「囚われの姫君」型だったが、この点で失敗していたように思う。幼馴染というだけで特権的な立場に置かれたカツミよりも、途中まで共闘していたユーゴーの方を好きだった人は多かったろう。このキャラクターの魅力という言葉以上の理由が上記構造から説明できる。ちなみに長期にわたる物語の『ARMS』と比べ、クエストを終えたら日常に戻る短話完結型の『スプリガン』・『D-LIVE!!』では日常/非日常の切り替えが上手くいっていた。特に『D-LIVE!!』は幼馴染ヒロインが出てこないものの、主人公の意識が驚くほど日常にあり続けた。

*2:余談だが『ぬらりひょんの孫』では当初メインヒロインのように思われた幼馴染がどんどん空気化し、作者もそれを自覚しているにも関わらず展開でのケアがされず、ヒロイン不在で進んでいる。