「途中までの面白さ」と「こういう話かと思ってたら違った問題」と

「こういう話かと思ってたら違った問題」にどう対応するか……っては、作品の楽しみ方としてひとつポイントになるんじゃねーの。

「こういう話かと思ってたら違った問題」とは、受け手が作品の前提と捉えていたものが実は違ったという問題のこと(命名もちろん私)。
例えば「どこにでもいる普通の」主人公が、展開が進んでいくと、実は「選ばれた人間」だったことが明らかになる……という話があるとする(けっこうあると思う)。主人公が「選ばれた人間」であることは序盤には仄めかされないとすれば、「どこにでもいる普通の主人公だったから好きだったのに、結局選ばれた人間だったのかよ。」という反応があっておかしくない。それは受け手のリテラシーが原因ではなく、作品構造的な問題だろう。

これは分かりやすい例だけど、終盤で「実はこういう話でしたー」とひっくり返す作品はけっこうある。それらをまとめて「こういう話かと思ってたら違った問題」と(勝手に)呼んでいる。

そこでAという話が実はA'だったことが明らかになったとき、受け手はそれにどう対応するかってのがポイントになるよなーと考えていて。

有名な具体例を挙げてしまえばエヴァとかひぐらしとかになるわけだけど、「途中まではよかったけど結局こういう話だったからダメ」みたいな話をよく聞くんですね。そのたびに私は「途中までの面白さってもっと好意的に捉えられていいんじゃね?」と感じる。途中まで乗せてたのも実力だと思うし、途中まで楽しんでたのは事実なわけだし。

だから「最終結果が全て」みたいな見方に固執していると作品を楽しむ幅が狭くなってしまうんじゃ……と思うのだけど、「こういう話かと思ってたら違った問題」は、作品(作者)が「今までAって言ってたけど、ごめんあれウソ。A'が本当なんでー」と言うことで、最終結果が全てという見方を正当化してしまう(と受け手が感じてしまう)。これが「途中までの面白さ」で作品を楽しむ際にマイナスに働くんだよな。
まぁ、ミステリだったらトリックの評価は最終結果が全てになるわけでそういう見方の場合は仕方ないのだけど。広く作品の楽しみ方として「途中までの面白さ」もアリな人だったら、「最終結果には納得してないけど途中までめちゃ面白かったよな?」みたいな反応を、「こういう話かと思ってたら違った問題」を抱える作品でだって躊躇するこたーないと思うわけ。