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桜場コハル的日常 : 『そんな未来はウソである』

漫画

そんな未来はウソである(1) (KCデラックス)

そんな未来はウソである(1) (KCデラックス)

人と目を合わせると、その人の未来が見えてしまう大橋ミツキ――。
他人がウソを言うと、ウソだとすぐわかってしまう佐藤アカネ――。

そんな変わった2人が出会ってしまった新感覚ショートラブコメディー!


未来視の能力、他人のウソが分かる能力。両方ともよくある設定だが、これらを渡されてこのような「設定の活かされない」作品を描いてしまうのは桜場コハルくらいだろう。誰しも設定があったら使いたいものだし、つい使ってしまうものだからだ。


未来視の少女は動かない。故にその能力はなかなか押し出されない。
ウソを見抜く少女は動く。しかし彼女は阿呆だった。故にその能力は彼女の想い描く結果に結びつかない。


そんな未来はウソである』では未来が視える・ウソを見抜くといった超能力を、本人は視力がいいとか足が速いとかその程度の体質と捉えているし、作品としてもそのように扱われている。「超能力」に付随したドラマもなければ、それが解決する事件も無い。そして時々思い出したかのように役に立つ。

このような作品が奇を衒ったギャグではなく、またジャンル「超能力をもった少女の日常」漫画にもなっていない。それを当然のように投げてくるのはさすが桜場コハルだ。『みなみけ』ではギャグと呼んでいいのか分からない日常レベルのささいなすれ違いが頻繁に見られるが、あれがいわゆる「女子高生の日常漫画」では現れることのない「日常」の一つで、そこに私は日常を見てしまう。

もともと人間の行動は次に何をやるのか自分でも把握しかねる不確定さが常に伴うものだが、桜場コハル世界はそういった複雑な内面に向かっていくわけでなし、むしろ彼女らはみな恐ろしいくらい首尾一貫している。そのようにはっきりし過ぎている彼女らですら日常的なすれ違いを見せることに、私は笑ってしまうのかもしれない。

新しいものを出すことで新しい展開を引き起こすのは簡単だが、既存のものからそれを行うのは難しい。あまりにもはっきりし過ぎている彼女らが、それを裏切らず行動し、しかし展開は思わぬ方向へ動く。今回は超能力を持ち出したことでその意外性がほんの少し後押しされる。そのほんの少しが実は大きい。「筋のない話」と「日常漫画」との間で、不思議な位置にある漫画。