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『魔法科高校の劣等生』の世界

魔法科高校の劣等生』三巻を読み終えました。実はブログに書くのは初めてですが、以前から強くすすめられて文庫化されるギリギリのタイミングでWEB版を一読しておりこれが二周目となります。WEBではどうしても集中度が落ちて読みが荒くなってしまうため、この二周目は精読を心掛けています。特に三巻からの九校戦はWEB版ではキャラクターをよく把握できないまま読み進めてしまったところで、この部分が分かって読めると面白さがとんでもなく増すと実感しています。

魔法科高校の劣等生〈3〉九校戦編(上) (電撃文庫)

魔法科高校の劣等生〈3〉九校戦編(上) (電撃文庫)

さて『魔法科高校の劣等生』の世界では魔法科高校の学生らは学生の身で大きな権力と能力を持ち、校内のみならず大きな社会的な事件に立ち向かいます。一方で彼らには学生として授業がありイベントがあり生徒会の活動もあります。こうした世界観を皆川亮二スプリガン』と比べる視点がありました。

 『魔法科高校の劣等生』は百年後の『スプリガン』 - Togetter

実はこの後で『スプリガン』と『テニスの王子様』を接続する話もあったのですが、とりあえずはそうしたエリート集団の活躍劇としての面白さがこれらの作品に共通してあるということです。

これに追加し今回精読して新たに思い出したのは一条ゆかり有閑倶楽部』でした。

有閑倶楽部』は金持ち学校に通う六人が有閑倶楽部という生徒会の位置にあるものに集い、各々の能力を発揮し様々な事件を解決していく話です。この漫画を読んだのがかなり昔になるので記憶を頼りに話を進めるのはやや不安ですが、細部の引用をするわけではないのでこのまま進めることにします。

このメンバーの中に菊正宗清四郎という男子がいます。勉強もスポーツもできるオールマイティーなエリートでリーダー役です。また剣菱悠理という女子がいます。野性的で勉強はからきしでも運動は得意です。いつだったかは忘れましたが、この清四郎と悠理が戦う話がありました。清四郎の師に鍛えられた悠理が潜在的な能力を発揮し清四郎も恐れる存在に至るという話です。

この話を思い出したのは『魔法科高校の劣等生』で多くのキャラクターが活躍する中で、正規のエリートである七草や十文字らが異端の天才である達也を強く意識する描写があったからです。

この、内のメンバーに対する恐れというのは『スプリガン』や『テニスの王子様』にはあまり見られません。それは彼らが現時点で仲間であり、それ以外の立場を意識していないからです(もちろん清四郎と悠理も同じなので上記の話はあくまでこの話のきっかけとして)。
魔法科高校の劣等生』においては学生らはいずれ外に出て別れることが当然であり、特に十師族である二人は家という学生とは別の大きな立場があります。彼らが達也を意識するのは彼らが同じ学校の仲間であると同時にそれぞれの立場も別にあるからです。何が言いたいかと言うと、そこまでを盛り込んだ世界観ということです。

有閑倶楽部』や『テニスの王子様』は今の瞬間を永遠に続けて行くタイプの作品で、そのキャラクターは仲間以外の立場をあまり意識していません。いわゆる日常系のアニメとは違いますが、穿った見方をすればその作品がある時間を越えて進まないことに対してキャラクター自身がどこか自覚的とも思います。

ところが十師族の二人が達也を強く意識していたことからも分かるように『魔法科高校の劣等生』の学生らの中にはその先の段階に対して自覚的であり、学生以外の立場のある者も多くいます(全てがそうとは言いませんが)。それは達也が始めから魔法科高校を通過点としか見ていないことからも明らかです。そもそも設定からして魔法科高校はただの高校ではなく社会的な注目度も高いと位置付けられています。つまり学校が社会と隔絶したものではなく(もちろん実際の学校も決して社会から孤立しているわけでは全くありませんが)、だからこそ彼らは大規模な事件にも巻き込まれ挑みます。

例えこの作品が結局高校生活のみを書くとしても、キャラクターに別の立場がありその先の段階を視野に入れていることはリアリティを感じさせます。またそのことが彼らが社会的な事件に巻き込まれるに際して各々の見方にも反映された面白さも生み出します。

同じ学校の仲間であるという立場以外も大きく盛り込むことで『魔法科高校の劣等生』は学園ものとしての面白さとエリート集団の活躍劇をプラスした以上に世界を広げているのではというお話でした。引き続き四巻以降も楽しみにしております。