「中二」なるものについて

 「厨二」、という言葉のネガティブな意味合いを避けて、ぼくは「中二」と書くようにしているが、いわゆる中二的なかっこよさの根底には物語性がある。ヒーロー(主人公)になりたいロマンが中二的なものを支えていて、モラトリアムなぼくはやはり今も中二が好きなままである。

 その物語性というものを様々形に出したとき、共通項としてアンバランスさが出てくる。伝統的な「小さな少女と大きな武器」というデザインや、定番な主人公設定であるところの「一つだけ突出した特別な能力」、あるいは「ハイリスクハイリターン」の展開なども、非常にアンバランスなもので、かつ何らか物語性を内包している。これらすべてが即座に中二と括られるものではないが、前述の説明を踏まえれば大きく外れてはいないはずだ。

 そう考えていくと中二的なかっこよさとそれ以外のかっこよさの違いも見えてきて、外側から見えるレベルの違いでは、アンバランスで「いかにも何かありそうな感じ」の有無がそれらを分けているのだと思う。多少奇抜であっても、ファッションのためのファッション、ただおしゃれな服装には、あまり中二という印象を受けない。

 また人の意識としては、例えば『ハチワンダイバー』をきっかけに将棋に入ったとして、『ハチワンダイバー』という物語性のみに惹かれるのか、『ハチワンダイバー』をきっかけとして将棋自体に惹かれているのか、内側レベルではそういった段階がある。こういうのは外側から見えない分厄介で、自分でも気づきにくい。

 中二「病」と治ることが前提になっているかのような言葉も、こうこう考えてみると、いまだに自分がそれを完全に抜け出ている自信はないし、中二病の派生としてその上に高二病・大二病といったものが出てくるのも、結局のところ症状が進むだけで治りはしない不治の病ということなのかもしれない。そんなことを考えながら昨日は『敷居の住人』を読んでいたら、相変わらずキクチナナコさんが超かわいい。