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『おおかみこどもの雨と雪』が黒ロン映画だった

 すごいすごい細田守監督がみるみる進化している。





時をかける少女



サマーウォーズ



おおかみこどもの雨と雪




 ヒロインの髪が長くなってる!!(「『おおかみこども〜』はお母さんだろ」と言う人は黙って読み進めて)


 その昔『サマーウォーズ』を観て「こ、これは黒ロン栄華だー」と言ったら周りに不思議な目で見られた経験があるのだが(関連:Togetter - 『サマーウォーズ』の真のテーマは「黒髪ロング萌えは世界を救う!」である)、まあさすがにあの時は自分でも3割くらいは冗談だったから仕方ないとする。だが今回の『おおかみこどもの雨と雪』は何の疑いもなく黒ロン映画であり、こんな黒ロン映画を作るからにはきっと『サマーウォーズ』も黒ロン映画として製作されたのだろう。遡及的に照明されてしまったようだな……。


 『おおかみこどもの雨と雪』に対してお母さんがどうのこうの言っている人たちを見たが、タイトルは『おおかみこどもの雨と雪』であり、ナレーションは終始こどもの雪であり、そこを語るに無視できない存在としてしかお母さんはない。だからこの映画の山場を挙げるなら、二人が直接にぶつかるときか、あるいは雨が最後に雪に話しかけるときのどちらかだろう。その後の雪が雨にふれないことも、じんときたとこだ。もちろんお母さんは無視できないそんざいだが、黒ロンではないのでこのエントリ内においては徹底的に無視する。

 この映画は後半とても面白かったのだが、そこには前半の積みが生きている。面白かったと言ったのは山場に挙げた雨と雪の決別だ。雨と雪は同じおかみこどもでありながら、別々の道を歩むことになる。

幼少期はお転婆で野生に生きていた雪と、自らの野性を忌み嫌い母に依っていた雨。いつしか二人の立場は逆転する。雨は「先生」に師事し野生に生きる雨の方は子どもは親の知らないところで勝手に育つということで、雨が具体的に何をやっていたのかは映されない。対照的に人として生きることを選んだ雪の学校生活は何度もクローズアップされる。

 そんな雪のターニングポイントとして小学校での生活がある。雪は人として女子として生きるため狼を捨てる。それは絶対うまくやってみせると自信を持って言い実践してもいた幼い頃とは異なり、人間社会において生きる事で雪には憂慮の陰が生じる。『羊のうた』で高城千砂さんは「私たちは…羊の群れに潜む狼なんかじゃない。牙を持って生まれた羊なのよ」と言われたが、それは狼である雪も同じだ。

 『おおかみこどもの雨と雪』では狼の強者の面はほとんど見られず、人の社会においてはひたすら弱者として狼はある。そうした積み上げが、幼くして「他の子どもとは違うこと」また「狼であること」の悩みを抱えてしまった雪の変化に繋がる。

 無邪気なおてんば娘は消え、大人しく大人びた少女が現れる。その瞬間、人として生きることを決めた瞬間、茶色かった雪の髪は黒くそして長くなる。小さな体で支えきれない、抱えた大きな悩みが少女を老成させ、その在り方が黒ロンということ。後半の雪ちゃん黒ロンかわえええ!!!展開には監督のそのような想いが込められているに違いなく、『おおかみこどもの雨と雪』はまさしく黒ロン映画であると言えよう。