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3月のライオン・SHIROBAKO・ミルキィホームズ

 明けましておめでとうございます。今年も弊ブログをよろしくお願いします。

 今年の正月休みは例年と比べ短いものでしたが、TOKYO MXでは1月1日にミルキィホームズ、1月2日・3日はSHIROBAKOと好きなアニメ2強が放送され、良い一年の始まりでした。そんな一年の始めに思ったことをつらつら書きます。



 『3月のライオン』11巻では主人公の桐山零が居候している川本家に離婚した父親・誠二郎が戻って来る。同居を提案する誠二郎に対し強く出られない川本家の面々に代わって、零は彼を撃退するべく様々な手を打ち、自分よりはるか年上の男性を相手に一人で立ち向かう。幼くして家族を失い、実父の友人宅で育ったもののそこにも馴染めなかった零にとって、それは川本家というはじめて得た家族を守る戦いであり、その零の奮闘を見て、川本家の面々も家族として零の存在を大きく感じる。



 ……という話なのだが。なのは分かるのだが、ぼくにはこれをそのまま感動に受け止めることができなかった。
 零の行動はこの巻だけを見ても正しいし、川本家の事情や姉妹のこれまでを考慮すればより正当性を持つ。
 しかしこの巻を読んで、ぼくは零をこわいと感じた。それはこの父親より零の方が、圧倒的に強い立場にあることからきている。金も地位も名誉もそして未来も、確実に零は 誠二郎を凌駕している。さらにそれを自分で主張もする。そんな彼が文句のつけどころも逃げ場もない正論で相手を追い詰めていくのを見て、ぼくはこわいと感じた。



 同じことは『SHIROBAKO』を初めて見て、他の人の感想を見て回ったときにも感じた。『SHIROBAKO』には平岡大輔という、かつては情熱を持ってアニメ制作に取り組んでいたが、それが裏目に出たり失敗したりして現実に打ちのめされ、今では雑に仕事をこなすようになっている者がいる。また高梨太郎という、マイペースなムードメーカーではあるが、おっちょこちょいで責任感に欠ける新入社員が出てくる。


SHIROBAKO 第1巻 (初回生産限定版) [Blu-ray]

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 彼らに対する罵倒はものすごい。どこまで本気か分からないネットスラングに近い形なのかもしれないし、思想云々ではなく物語においてストーリー展開上じゃまになるキャラクターやその行動には受け手のヘイトが集まるということも分かる。
 それでも彼らを誰しもこういう一面はあるものと思って観ていたぼくにとっては驚きで、ここでもこわいと感じた。

 当然、誠二郎や平岡・太郎にも問題はあり、彼らを正そうとする行為は正しい。
 ぼくがこわいと感じたのは、彼らより強い立場から吐く正論だ。

でも違うんだよ友徳よ。正論ってのは他人を正すためにあるんじゃないんだよ。正論ってのはあくまでも自分っていう潜水艦の周囲の状況を確かめるために発信するソナーなんだよ。自分が正しいと感じる、信じる意見をポーンと打って、返ってくる反響で地形を調べるのだ。ソナーで道が拓けるわけじゃない。
舞城王太郎『ビッチマグネット』)


ビッチマグネット(新潮文庫)

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 弱い人間が弱さを盾にしてはいけないが、強い人間が強さを矛にしてもいけない。矛盾。

 個人的な話だが入社後2年ほど、恐ろしく仕事できないし社会人仕草もできない新入社員としてひどい扱いを受け肩身も狭い暗黒時代を過ごしたためか、弱い人間のとる行動というのが分かり、そちらに先に目が行ってしまう(それだけ上記2例のキャラクター設定が巧いということでもある)。

 そういう個人的な事情もあって、上に挙げた2例は「恥をかくシーンが苦手」と似たようなもので、気になる人にしか気にならないものなんだろうと考えている。


togetter.com


 責められて当然の人間が責められるのを、しかしそれでも見たくない。それは少なからず彼らに対して共感していた自分への攻撃と捉えてしまうためだろう。
 怒ることが相手にプラスになることは確実にあると思ってはいるが、相手のために怒るというのは信じていないからかもしれない。

 フィクションでつらい現実を見たくない弱い人間の呟きになってしまったが、それは現実逃避というだけでなく、おかしな現実に対する修正案を求めている面もある。現実はミルキィホームズのようにはならないが、しかしミルキィホームズに近づくことはできる。少しくらいは。たぶん。



 『ミルキィホームズ』の登場キャラクターはどいつもこいつも客観的に見て問題大有りだが、彼女らがそれを責められたり性格矯正されたりするようなシーンは見られない。欲望に忠実で自由奔放な彼女らを罵倒する者はいないが、それでもゆっくり、怠けつつ、少しだけ、彼女らは成長する。
 またミルキィホームズ1期2期の監督・森脇監督の最新作である『プリパラ』でも同じように、いかにも問題のあるキャラクターが責められたりいじめられたり陰口を言われたり罵倒されたりはしない。

 それはギャグ作品だからだとか、嗜めるようなまともなキャラクターがいないからとか、そういう以前の問題として、圧倒的に強い立場から吐く正論が存在しない世界なのだ。

 思うに、ぼくがミルキィホームズを好きなのはこういうところなのだ。