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今週の黒ロン:『小説の神様』

今週の黒ロン

 アニメ制作を主題にしたテレビアニメ『SHIROBAKO』に平岡というキャラクターがいます。
 かつてアニメ制作に夢を抱き熱心に取り組んできた平岡は、業界の理不尽な現状に直面し、経験は積み仕事はできるが雑にこなすだけの状態になって現れます。業界に失望しながらもその業界から離れられない。矛盾した中途半端な立場でいて、そのことも自覚して、平岡は『SHIROBAKO』という物語に登場します。
 『SHIROBAKO』の主人公で入社2年目の宮森は、熱心に良いアニメを作ろうとがんばっており、そのために平岡とは度々対立します。平岡はそんな宮森を、業界に夢を見過ぎているだけで、いつか自分と同じように失望するだろうという風に見ています。


 『小説の神様』の主人公・千谷一也もはじめ、この平岡のような状態で登場します。


小説の神様 (講談社タイガ)

小説の神様 (講談社タイガ)


 中学生で作家デビューし、文章力の高さを評価された千谷は、しかしそれ以降は苦戦。出版不況も重なってか年々部数は減り続けています。薄っぺらくてつまらないと感じた小説ばかりが売れていて、自分の作品は酷評されるだけ。自信と意欲を失った千谷は「小説に力なんてない」と思うようになります。

 物語はこの千谷が、同じく高校生作家の小余綾詩凪(こゆるぎしいな)と共作を出す企画から動き出します。小余綾は千谷と異なり人気作家で、小説に対し冷めた見方しかできなくなっている千谷と度々対立をします。曰く、「私には小説の神様が見える」。

 千谷は小余綾との共作を進める中で、徐々にかつての小説に対する熱意を取り戻し始めます。『小説の神様』は千谷を小余綾を通して、「物語とそれを創る意義」を描いています。


 主人公の造形について。作中、千谷は「自分に自信のない失敗ばかりする主人公なんて今の世の中では受け容れられない。もっと万能で見ていて爽快な主人公造形が必要だ。実際そういうものが受けている」ようなことを言います。
 『小説の神様』ではこれに対し、それでも悩み失敗しながら勇気を持って進む主人公が必要だという方向に進展します。そして実際、『小説の神様』も千谷という、弱く脆い主人公が歩み出す話となっており、メタ的にこの説得力を強めます。そのメタ構造にはもう一つ上があり、それは著者の相沢沙呼先生自身です。

 相沢沙呼さんは鮎川哲也賞を受賞してデビュー。『小説の神様』の主人公と同じく文章の巧さを高く評価された方です。ミステリ界からのデビューですが、ミステリに限らず漫画原作やライトノベルなど、広くエンターテイメントに関わっています。
 しかし商業的には厳しい状況であることをtwitterなどでは発言しており、いち読者としては正直不安でした。

 千谷の置かれた状況は相沢さんとかなり重なるものがあり、『小説の神様』という物語の願いを通して、相沢さん自身も千也のような状態から抜け出すことができ、それにより作中で訴えられる「物語とそれを創る意義」がより説得力を持てたのだと思います。

 『小説の神様』は上述の通り「物語を創る意義」を大きなテーマとしていますが、冒頭で例に出した『SHIROBAKO』と同様、より普遍的な「働くことや自分の仕事の意義」としても受け取ることが可能です。

 それは『小説の神様』で書かれる(おそらく相沢さんの体験に則した)今の商業作家の厳しい現状がとてもリアルで、現実感を持ってその悩み苦悩が読者に伝わるからです。作中でも小説はウソを書くんだから取材なんて不要という話が出ていましたが、現実的とは別の意味で、キャラクターの気持ちを親身に感じるには、その置かれた状況をよりリアルに書くことが必要なのだと、『小説の神様』を読んで思いました。



 さて今週の黒ロンらしい話もしておくと、相沢さんはデビュー以来、黒髪ロングストレートでSな性格の美少女ヒロインを好んで描く方です。



 『小説の神様』の小余綾もまた黒髪ロングストレートでSな性格の美少女ヒロインです。
 高校生で人気作家で、誰もがはっとする美少女。自信に満ちたアクティブな振る舞い。千谷に対してキツく当たるのも誰より小説の可能性を信じた真摯さ故で、理由のないSな言動が苦手な読者にも受け容れられるものと思います。

 『小説の神様』は登場人物こそ高校生のお話ですが、内容的にはお仕事ものです。
 それでも高校生をメインにした理由はいくつかあるのでしょうが(日本のフィクションは中高生ばっかみたいな話、ちょっと前にもありましたね)、個人的には「思春期の男子高校生的な目線からの黒髪ロング美少女に対する、羨望と性的観測の入り混じった描写」だけで充分その理由足り得るかなと思います。
 高校生くらいの年頃の、自分なんかが見ていては悪いようで、でも目を離せない。きれいなものへの憧れや憧憬を含んだ視点からは、直接に美しいものそのものの美しさを描写する以上に、読者にノスタルジックに訴えてきます。

 すると、体育館の入り口から、運動着姿の小余綾が姿を現した。長い黒髪は未だシュシュで括られ、ポニーになっている。その髪を揺らしながら、華奢で美しい身体が水道のところまで歩んでいくのを、僕はぼんやりと見つめる。
 彼女はそこで顔を洗った。蛇口から飛び出す水が、きらきらとした水滴となり、小余綾の紅潮した頰と垂れた髪を飾っていく。彼女は顔を上げて、心地よさそうに伸びをした。
相沢沙呼『小説の神様』)


 相沢さんはデビュー当時からこういう描写が非常に巧く、千谷や小余綾のように、これからも小説を書き続けてもらえたらなと願っています。サンドリヨンとマツリカのシリーズ続きが読みたい!