フィクションにおける兄・姉という立場 ~黄前姉と宮森姉~

 現実に自分が兄であり弟であるという立場を持つことと関係があるのかもしれないが、最近フィクションにおける兄・姉といった立場に注目している。

 少年誌掲載のバトル漫画において主人公がその兄弟と敵対していた場合、9割以上の確率で主人公が弟(兄が敵)という図になることを、幼い頃ぼくの兄は不服だったらしく、そうならないのは皆川亮二『ARMS』の高槻兄弟くらいだという話を聞いていた(まあ『ARMS』も「俺はお前らの兄」と言ってたキースを倒してたが)。

 少年誌掲載のバトル漫画において兄が敵対しているのは、年上で精神的身体的に自分より成熟した人間の語る正義やその選択が必ずしも正しいわけではないという読者へのメッセージがあるものと思われる。

 これはバトル漫画に限らず、と言うかファンタジー世界観でない漫画でこそ、フィクションにおける兄・姉といった立場は重要である。

 同じ血筋や環境で育った年上の人物が通る道。それはもしかしたら主人公が通るはずだったもう一つの道であり、そしてもしかしたらこれから主人公が通る道となるかもしれないからだ。よく「ラスボスは主人公の裏」と言われるのと同じ理屈だ。



 『響け!ユーフォニアム2』第8回「かぜひきラプソディー」では主人公である黄前の過去エピソードから姉との関係、姉の現在にフォーカスを当てる。

 黄前姉は親に言われるままの道を通って、吹奏楽部をやめ、大学へ進学した。本当は中学の頃からずっと美容師になりたいという夢があったが、それを我慢して。

 一方、第8回では主人公である黄前の過去にもフォーカスを当てている。黄前が吹奏楽を始めたのは姉に憧れてのことで、もともとは姉と同じトロンボーンをやりたかったが、環境的な要因からユーフォニアムをすすめられ、やりはじめる。姉が吹奏楽をやめて、なんとなく続けていた部活動で、高校でも周りのすすめもあってなんとなく入部した吹奏楽部で、意図せず全国大会を目指す厳しい部活動へと環境が変わり、部内の対立や様々な部員との関わり、その中で黄前は部活動や吹奏楽ユーフォニアムに対する自分の気持ちを少しずつ固めていく。

 さて、この選択の中にどれほど黄前の意思が働いているだろうか?

 本当はやりたいことがあったのにその気持ちにふたをして、親に言われるままの道を進んでしまった黄前姉。本当にやりたいことなんてなくて、周りや環境がそれを強いてきて、その道を通るうちに納得を得た黄前。

 両者は外から見ればどちらも周りに言われるままに進んでいるようで、今現在その道に納得できているかという点で決定的に異なる。

 黄前姉が今になって「本当は吹奏楽をやめたくなかった」「本当はずっと美容師になりたかった」と言い始めるのは、吹奏楽を一所懸命に続ける黄前の姿を見ての影響も大きいと思われるが、その今更さを他ならぬ黄前から糾弾されてしまうのが悲しい。そしてその悲しさやつらさは黄前姉が言うように黄前には分からないものだろう。

 しかし黄前姉の目にはやりたいことをやり続けていてうらやましく見える黄前も、別に吹奏楽がやりたいことだったわけではなく、なんとなく選んだ道で徐々に意思を固めたという経緯は、黄前姉にも分かっていないところだと思う。

 両者の選択のどちらが望ましいのかは不明で、ただ未成年の自由な選択には親という大きな障壁が存在し、その状況下でぼくらは選択し生きていく必要があった事実を思い出させる。



 アニメ制作の現場を描いたアニメ『SHIROBAKO』においても主人公である宮森の姉が作中に登場する。
 立場的には同様に主人公のあるはずだったもう一つの道を表す人物のようだが、『響け!ユーフォニアム』と比べると『SHIROBAKO』における姉の描き方はいささか異なる。

 地方の実家住まいで地銀勤務である宮森姉は、前半の数話で東京に一人暮らしをする宮森の家に突然訪問してすぐに去って行き、その後はほとんど登場しない。ここで『響け!ユーフォニアム』のように宮森と姉との過去エピソードや宮森姉の現在に大きなフォーカスが当てられることはない。ただ、大変でもやりたいことをやっている宮森に対し、地方でつまらない毎日を送っている宮森姉という対比はあり、宮森姉が親の意向に沿って道を選んだことは確かである(実際、宮森も地方の短大へ進学・卒業している)。

 宮森姉が語る彼女の日常はつまらない。そのつまらなさはおそらく黄前姉の感じるつまらなさと同じである。ここで同じように親の言われるままの道を行く宮森姉と黄前姉の違いはなんだろうか?

 それは黄前と黄前姉の違い同様、本人の納得である。

 黄前姉にはもともと美容師になる夢があり、それを我慢してきたという不満がある。宮森姉はそういった明確にやりたいことがない(その点ではむしろ黄前と共通している)。今の仕事はつまらなくて我慢しているが、仕事とは別に楽しさを見つけ、なんとか毎日を送っている。

 宮森姉はなんで仕事をやめないのだろう?なんで実家を出て上京しないのだろう?とは、『SHIROBAKO』を観た多くの人が疑問に思うところだろうが、個人的な解釈としては宮森姉は宮森に夢を託しているように感じる。
 特にやりたいこともなく、親の言うままに進むことに黄前姉ほど不満のない宮森姉は、現在の生活がつまらなくてもそこから飛び出すほどのモチベーションがない。そうした働き方を否定して宮森のようにやりたいことをやるべきだという一部の就活サイトや自己啓発本的な(偏見)訴え方をしていないのはお仕事アニメとして『SHIROBAKO』の良いところと思う。生活のために働く多くの人のおかげで世の中は成り立っている。
 「夢」のない宮森姉にとっては、「夢」を抱く宮森が美しく見え、宮森を応援することで自身の「夢」の代わりとしている、のではないかと考えている。(※ここで言う「夢」の解釈は橘田いずみ語録を参照)


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 自分が親の意向に沿う代わりに宮森を東京へ送り出したという、親との交渉エピソードが宮森姉にはあるはずだということまでぼくは予想している。

 別の道を行った黄前につらく当たる黄前姉とは対照的に、宮森姉が宮森に優しく、昔から今まで宮森を励ましていることからも、それがうかがえる。宮森姉。めちゃくちゃ良い姉だな~とは『SHIROBAKO』観た人はみんな思うはずだ。

 主人公のあるはずだったもう一つの道を示す兄や姉の登場は、より主人公の立場や選択を明確にし、話の深みを増す。そして同じ環境で育ち、物語に関わらないところで別の人生を送っている人間がいることは話の広がりも増す。

 姉の人生をオープンにして主人公との違いを明確に出した『響け!ユーフォニアム』は前者で、物語の深みを増している。姉の人生をほとんど語らず存在だけ示した『SHIROBAKO』は後者で、物語に組み込まれない人物の登場が物語の広がりを増した。

 少年誌掲載のバトル漫画において兄が敵対する図式と同じく、親の言われるままに進む姉とそうではない道を行く妹という対立はひとつのフォーマットになりえるのではないか。今後も上の2つとは異なる興味深い作品の登場を期待している。

 ところでぼくは今、年齢的に近い兄や姉の立場でフィクションを見ているためにこういった感想が生まれるが、そのうち親の年齢に近くなったら、一人目の子は保守的な育て方を強いてしまい失敗するというような親の立場での見方もできるのかもしれない。そうなったらフィクションにおける親の立場にフォーカスを当てた作品を好むようになるのかもしれないが、まあそのときはそのときなので今は知らない。