桜庭さんを尊敬するたったひとつの理由

 あなたがまだ桜庭さんを尊敬していないのなら、あなたは桜庭さんを尊敬しなければならない。あなたがすでに桜庭さんを尊敬しているのなら、あなたは桜庭さんへの尊敬が足りない。

 われわれは桜庭さんを尊敬しているのではない。桜庭さんを尊敬させてもらっているのだ。


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 『BE BLUES!』というサッカー漫画において、桜庭さんは美しく巧みな(名前も桜庭巧美)ボールさばきのフォワードとして登場する。埼玉の天才少年として小学校時代から主人公・一条龍と互角のライバルだ。


(表紙画像は現在の桜庭さん)


 そんな天才・桜庭さんであるが、高校生となった現在、所属していたユースチームには上がれず、公立の高校サッカー部に属している。

 その理由は大きく2つあり、第1にあまりにも自己中心的な性格ゆえにパスが出せないこと。第2にオフ・ザ・ボールの動きが悪いこと(パスを出してもらえるよう相手のマークを外したり、スペースを見つけたりといった動きをせず、棒立ち)。

 これはフォワードとして致命的な欠点で、ここまでで桜庭さんを尊敬できないと感じた方もあるかもしれない。

 だが待ってほしい。この2つの明らかな欠点があるにも関わらず、桜庭さんは大会メンバーに選ばれ、活躍している。サッカーにおけるフォワードに活躍とは点を獲ることだ。桜庭さんはパスを出さずとも棒立ちでボールを待っていても、点が獲れる。そんなフォワードだ。



 それは桜庭さんの圧倒的なテクニックによって、それだけによって成り立っている。

 桜庭さんはパスを出さずとも強固なディフェンスをくぐり抜けて一人でシュートまで持って行くことができ、またマークを外さなくともボールをもらいうけた瞬間に相手ディフェンダーを抜き去ることができるのだ。

 他の多くのスポーツ漫画を見ても、こういった突破力があり独りよがりになっているキャラクターというのは珍しくもなく登場する。
 ただ、そういったキャラクターはたいていフィジカルに恵まれ、パワーで突破する者がほとんどだ。

 桜庭さんはちがう。桜庭さんはスポーツ選手としてどころか一般的に見ても身長が低く、パワーもなくスタミナもない。足も速くない。すでに見た通り、本当に桜庭さんはテクニックだけで突破しているのだ。

 それではわれわれが桜庭さんを尊敬するべきは、もとい尊敬させてもらうべきは、この技術なのだろうか?

 それもちがう。

 先に他のスポーツ漫画の事例を出したが、そういったパワー型の選手も桜庭さんと同じ2つの欠点を抱えていることが多い。特に1つ目の「パスが出せない」はスポーツ漫画よくあるパターンと思う。フィジカルで強行突破し、チームメイトを見下していたキャラクターが自分だけでは突破できない壁にぶつかり、仲間を信頼してパスが出せるようになる。パワー型の選手はしばしばこうした道徳的なストーリー展開とセットで現れる。

 『BE BLUES!』というサッカー漫画において、桜庭さんは第1巻から登場しているが、それでは桜庭さんは上の2つの欠点をどのように克服したのだろうか?

 結論としては「2つとも全く克服していない」だ。桜庭さんは小学生の頃と同じようにパスが出せずオフ・ザ・ボールの動きもひどいままだ。

 パワーもスピードもない選手が、テクニックだけで強行突破し続ける。桜庭さんのプレーはロマンに満ちていたが、ここでパワー型の選手と同様、桜庭さんも一人では突破できない壁にぶつかる。


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 ただでさえスタミナに不安のある桜庭さんは今大会スタートメンバーとして出場し、案の定序盤こそ調子よかったものの、スタミナ切れに陥る。普段の強気な発言も出せないほどに息が上がり、グラウンドに座り込んでしまう桜庭さん。

 ついに桜庭さんにも2つの欠点を克服し、「成長」する機会が来たのか? 『BE BLUES!』前週までの展開は多くの読者がそのような感想を抱いたが、しかし桜庭さんは桜庭さんだった。
 イギリスがEU離脱しトランプ氏が大統領となり天皇の生前退位が決まっても桜庭さんは桜庭さんだった。


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 ゴール前に堂々陣取り、パスを求める桜庭さん(※はじめて見る方は驚くかもしれないが、これが桜庭さんのパス待ち姿勢である)。

 サッカーにはオフサイドというルールがあり、そこまでロングボールでパスを出すことはできない。困惑するチームメイトたち。

 そのとき誰かが気づいた。まさか桜庭さんは、自分のところまでボールを運んで来いと言っているのか……? 残りの体力で、確実にゴールを狙える位置に陣取って……? もう言葉を放つ余裕もないが、桜庭さんの目は本気だった(次週に続く)。


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 人はみな大人になるにつれ、自分を世界に合わせることを学ぶ。そしてそれを「成長」と呼んで納得し喜んでいる。しかしごくまれに世界を自分に合わせるようなことができる人間が存在する。

 桜庭さんを尊敬するとしたら、もとい尊敬させていただけるとしたら、そのテクニックを尊敬するのではない。パスを出さない。マークを外そうとしない。自分を世界に合わせようなんてしない。道徳的な物語に自分を押し込めようとしない。そのプライドをだ。桜庭さんは常にボールと尊敬を求めている。

 次週、桜庭さんのところまでボールを持って行けば必ずボールをゴールに入れてくれる。「成長」しない桜庭さんが、チームを勝利に導くのだ。


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