『ワールドトリガー』「主役になれなかった人たち」の物語

 『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール』(以下、『劇場版SAO』)を観ました。先週観たばかりでしたが、特典の書き下ろし小説ほしさに。あと先週は原作の事前知識ゼロで行ったので終始「アスナさんの髪がめっちゃ長い」という感想しかありませんでしたが、やっと原作1巻とおおまかなあらすじ等読んで多少なりとも知識を得たので改めて。再観賞の感想としては、アスナさんの髪がめっちゃ長いです。ご査収ください。

 『劇場版SAO』には「(能力的な問題で)主役になれなかった人たちの存在は小さく、だからみんなの記憶にも残らない」という想い悩みを抱える者が出てきます。『SAO』がアスナさんを中心とするストーリーとして、 『劇場版SAO』 は「主役になれなかった人たちの物語」として見ることもできます。

 「主役になれなかった人たちの物語」と言っても、サブキャラクターに焦点を置いたもの、敵方視点を描いたもの、全員が主役と謳うもの、主役になれなかった哀しさを謳うもの、様々あります。

 様々な「主役になれなかった人たちの物語」は、本編に深みを出すためですとか、物語のお約束を外した新奇性を狙ってですとか、いろいろな意図から作られているようですが、そんな様々な作品が受け入れられるのは、見る人々にも「主役になれなかった」という想いがありコンプレックスがあるからかもしれません。

 2011年に放送されたアニメ『輪るピングドラム』には「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」という有名なセリフがありますが、これも多くの人に「主役になれなかった」という想いがあるから、強い印象を残したのかもしれません。

 では「主役になる」とはどういうことなのでしょうか? 彼ら・彼女ら・我々・私は如何にして主役になれるのでしょうか?


 ここからは『ワールドトリガー』16,17巻の感想になります。




 『ワールドトリガー』最新18巻の発売を機に16,17巻を読み返していましたが、このB級ランク戦ラウンド5がすごくおもしろいです。

 流れとしては主人公である三雲たちがラウンド4でB級上位組に完敗したことで、チーム戦力を強化すべく新たな戦術を生み出した。そのお披露目のような回です。この新戦術は、核となる新たなスキルこそ読者も知っているものの、それをどう使うかといった戦術に関しては読者視点でも初見のものになります。

 三雲隊は新戦術として、準備して迎え撃つタイプの戦術を採ります。敗北からさらに強くなり立ち上がる展開の流れこそ三雲隊主役の視点ですが、実際の戦闘は香取隊と柿崎隊という「主役になれなかった人たち」が三雲隊をどう攻略するかという視点から展開します。

 事実、戦術描写以外のチームの過去回想などドラマシーンは香取隊と柿崎隊が大部分を占めています。全体量としてもあまりドラマシーンを描かない『ワールドトリガー』において、戦闘中にここまでドラマシーンが入ってくるのは珍しく、実際、前回のラウンド4やこの後のラウンド6は戦闘中にドラマシーンを挟む構成にはなっていません(ただしラウンド3の那須隊・鈴鳴第一との戦いはラウンド5と同じくドラマシーンが多い構成で、漫画として飽きのこないよう考えられています)。そうしたキャラクターの背景を過去回想として見せなくても、ちょっとしたキャラクターの言動で個性付けできるのが『ワールドトリガー』の良いところですが、そこを語り始めると脱線するので話をラウンド5に戻します。


 香取隊から見ていきます。香取隊はリーダーの香取葉子を中心とし、他の2人(若村麓郎・三浦雄太)が香取をサポートするチームです。香取個人の能力はマスタークラスであるものの、努力が苦手で天性のセンスで全てまわしているために、気分によってパフォーマンスにムラのあることが香取の弱点であり、チームの弱点にもなっています。

 それは香取が能力的に抜き出ており、性格的にも他の男子2人が彼女に口出しできない。しても無駄なためです。麓郎は努力を軽んじるわがままな香取と衝突しがちで、雄太は2人のギスギスした対立をやわらげるべく行動し、チームのバランスを取ろうとしています(こういう人間関係あるあるですね)。
 香取の幼なじみである華がオペレーターを担当しており、唯一香取に進言できる華が戦術面でチームを補佐し、なんとかやっているのが香取隊の現状です。

 香取隊の問題は香取個人の問題であり、彼女に対する他のチームメンバーの問題でもあります。問題を抱えた香取隊は問題をそのままにだましだまし進んでいますが、B級ランク戦の結果だけ見ても元々居た上位からかなり順位を下げているようです。

 そしてこのラウンド5で香取隊の問題は表面化します。

 それは香取が三雲たちをおもしろく思っていないからです。ヒーローのような目的意識が有り、調子よくランクを上げていく三雲が、三雲隊が、香取はおもしろくありません。
 その理由は戦闘中に挿入される過去のドラマから判明しますが、香取も同じように目的があってボーダーに入ったからです。それなのに低迷する香取は、新参で一気に駆け上がっていく三雲たちに嫉妬している、節があります。

 香取は第一次大規模侵攻の際、幼なじみの華に助けられています。華はそこで自分の家族を失っており、つまり家族よりも優先して香取は助けられました(華曰く「助かる可能性が高いほうを選んだだけ」)。そのため華がボーダー入隊を希望すると香取も同じくし、2人で組んで1番を目指します。

 という香取隊の始まりとなる感動的な過去回想は、香取隊がB級中位に落ちて、香取は諦め苛立ち、チームの雰囲気も悪く、落ちた中位でさらに新参の三雲隊に押されている最悪の局面で挿入されます。


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 主役的な目的や意識、条件を備えているからといって何もかもうまくいくわけではない、現実は甘くない、という香取の三雲に対する発言は、自身も同じようにヒーローの条件を備えているにも関わらず足踏みしているという苛立ちから来ています。

 これに対し三雲は、ヒーローの条件を備えているからヒーローのように振る舞えるのではなく、そう行動するべきだと自身が思っているからやっているだけのことが、結果的にヒーロー的に見られているだけというような返しをしています。
 これは実力的に香取に大きく劣る三雲の発言だからこそ重みがあります。三雲のセリフからは彼の信念を強く感じ、それこそが彼が主役たる所以と思います。


 次に柿崎隊です。柿崎隊は香取隊とは対照的にチームのまとまりがよく安定的です。三雲隊や香取隊のように突出した実力あるタレントは不在ですが、柿崎隊長が指揮し、他の2人が彼をサポートする体制です。

 堅実な戦い方をする柿崎隊の問題もやはり柿崎個人のものになります。かつては嵐山隊に所属していた柿崎は入隊間もない頃、ボーダーの広報イベントで記者からの意地悪な質問を受けます。「街の人と自分の家族のどちらを優先して守るか?」というその質問は、どちらを答えても揚げ足をとられかねない、ボーダーに批判的な記者からの質問でした。

 答えに窮する柿崎を横にして、嵐山は迷わず家族を守ると答えます。家族が無事であれば後は何の心配も無いので、(自分が死ぬまで)街の人を守ります、と涼しい顔でヒーローのような受け答えをする嵐山。それを横で見ていた柿崎はその後、嵐山隊がボーダーの顔として広報を担当することに決まったことをきっかけに嵐山隊から独立します。柿崎本人はこの件を「自信がなくて逃げ出しただけ」と表現しており、このエピソードから柿崎は「自分は嵐山のようなヒーローになれない」というコンプレックスを抱いている、ように見えます。

 そういった背景からか、柿崎はチームを全て指揮しなければならないという責任感で全体視野を狭めています。これは解説の時枝からも柿崎唯一の弱点として指摘されているものです。

 そんな柿崎は三雲隊との戦いの中、それまでの方針を改め、柿崎本人にも変化が見られます。そして最終局面、空閑と対峙した柿崎はモノローグでこう言います。


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「おまえらにとっちゃ俺たちは遠征までの通過点 勝って当たり前の相手なのかもしんねーが 新しい連中がどれだけ派手に追い抜いて行っても それであいつら(※柿崎隊メンバーのこと)の価値が消えてなくなるわけじゃねえんだ」


 『劇場版SAO』には「(能力的な問題で)主役になれなかった人たちの存在は小さく、だからみんなの記憶にも残らない」という想い悩みが出てきました。そして、これに対するアンサーは「例え戦力的に貢献をしていなくても、戦う意志があった者のことを忘れることなんてない」というものでした。

 自分より能力的に優れた人がいるだとか、自分より大きな目的意識を抱く人がいるだとか、そんなことはただの事実であって関係なく、「主役になる」とはそういった事実を受け入れた上で自分自身でアイデンティティを確立すること。自分の居場所を、役割を選択し、納得すること。それが「主役の物語」ではないでしょうか。

 「あいつら」に柿崎自身が入っていないのが(またオペレーターも含んでいることが)彼らしいですが、主役でなくとも実力的に劣ろうともそれを理由に価値がなくなるわけではないと断言する柿崎は、嵐山のように三雲のように主役であると感じます。


 ラウンド5終了後、香取隊と柿崎隊はそれぞれ問題への解決に一歩足を踏み出します。それは両隊とも隊長個人の問題をチームで分ける、と言った解決でした。「主役になれなかった」コンプレックスを抱く香取や柿崎は、チームの協力を得て再び立ち上がります。


 「主役になれなかった人たちの物語」は様々ありますが、ここであえて『ワールドトリガー』B級ランク戦ラウンド5を採り上げたのは、「主役になれなかった人たち」として香取隊と柿崎隊2チームの物語を同時並行で進めることで、「主役になれなかった人たち」を相対化していることが理由です。それによって「主役になれなかった人たち」視点という、それ自体がすでにパターン化されてしまったものを改めて再定義しています。

 それはメタな意味での主役(=物語の中心人物)とは別に、誰もが主役になることはできるということ。ただしそこに至るまでには大きな苦労や苦悩があること。そしてそれが全然当たり前ということです。


 『ワールドトリガー』の作者である葦原大介さんは、作品の主役を1人ではなく4人(三雲修・空閑遊真・雨取千佳・迅悠一)と考え描いているらしいです。またそもそもの登場キャラクターが異常に多いことから、 視点が固定されず多角的に見ることのできる、非常に良くできた群像劇となっています。

 三雲たちはあくまで中心であり、彼ら以外が「主役になれない人たち」というわけではありません。

 三雲たちとは別に独自の信念を抱く者もいれば(※例えばB級隊員の荒船には自身やチームのランクを上げること以外にボーダーを強化する野望のあることが彼の口から語られている)、香取や柿崎のように未だ主役になれない悩みを抱える者もいます。

 彼らを取り巻く世界はシビアなもので、ものすごく研究して作戦を立てたチームが勝つわけでも、強い目的意識を持つチームが勝つわけでもなく、勝負は実力プラス時の運というシビアな世界が『ワールドトリガー』の世界です(※例えばこの後のラウンド6では準備研究したチームの成績が結果的に芳しくなく、またボーダー個人トップの成績を残す太刀川からはあまり目的意識を感じず、いつものほほんとした感じです)。

 これは余談ですが、こうしたシビアな世界を大人の厳しさ嫌らしさとして出すわけでなく、基本的には子どもが楽しんで遊んでいるような世界観で出してくるのが『ワールドトリガー』の特色です。


 そうしたシビアな世界で各人が信念を貫き生きることは大変で、大変現実的で、だから香取のように苛立つのもすごくよく分かって、だからこそ『ワールドトリガー』を読む我々も「主役になる」べきなのです。