『月がきれい』を月がきれいになれないという話

 相談事のある人はたいてい的確なアドバイスなんて求めていなくて、ただ話したいだけだから話を聞いてあげるだけで十分という説がある。
 それは一見ひどく無意味な行為のようで、たしかに悩みや不安を口にするだけでいくらか気分が楽になるという経験はあって納得できる。ぼくにとっては「話す」より「書く」がそれに該当するものかと思う。何かをおすすめしたいとか発信したいとかよりは、何かに耐えられなくなったからという理由でこのブログは書かれている。

 そんなわけで今回も耐えられなくなったので書くが、的確なアドバイスなんて求めていなくてただ話したいだけだから、どうか話だけ聞いてもらいたい。


 アニメ『月がきれい』を観ている。


tsukigakirei.jp


 「中学生男女のはじめてのお付き合い」というストーリーのアニメで、その一言で十分すぎるほどに説明できているシンプルなお話だ。つまるところそこに魅力が集約されている。


 キャラクターの中学生っぽさが良い。
 設定年齢が中学生というだけでなく、本当に中学生だったらこういう話し方をして、こういう人間関係があって、こういう小さな悩みがあって、という点がとにかく押さえられていて、本当にキャラクターがみんな中学生している。高校生でも小学生でもない、中学生。

 このへんがしっかりしているから「中学生のはじめてのお付き合い」というストーリーがより力強くなる。

 大きな事件や恋愛ドラマがあるわけでなし、打算や計算もなし、ただ「なんとなく」お付き合いをはじめる2人。こういう純粋な「中学生のはじめてのお付き合い」はやはり中学生でしかできなかったんだなあとしみじみ感じる。

 高校や大学では付き合うという事件がそこそこありふれたものになり、周りの友達の影響もあって、また別の意味が加わって彼氏彼女という付き合いが始まる。大人になってからはもっとちがって、結婚や共同生活という地点をある程度見据えてのパートナー選びになってしまう。

 ぼくらは成長するにつれてこの「中学生のはじめてのお付き合い」から離れていき、別の観点で別の価値を求めてパートナーと生きていく(のを目指す)。それはどちらが優れているという話ではなく、むしろ少なくとも「今は」今目指し求める関係性がベストで、それ以上はない。なのだけれど、『月がきれい』はその今はできないあのときあんなに価値があってあのときしか手に入らなかったものがたしかにあったのだなと、思い出させてくれる。

 それはお察しの通りあまり気分がよいものではなく、だから『月がきれい』は中学生なんてとうの昔に過ぎた年齢の集団で良い酒を飲みつつ時に一時停止し騒ぎながら観たり、自宅に独り暗がりでじっと一気に観たりするといい。ぼくは後者で耐えられなくなったのでこうして書いている。

 自分はわりとフィクションとの距離感はとっているのであまり「こういう経験がしたかったー」と感じることはないのだけれど、だからといってそういう気持ちがないわけではないので、今すごく水野さんとお付き合いしたい(という素直な気持ちを出させるのもまたやだ)。このままだと自分の中学時代が成仏してしまいそうでこわいのでそろそろ『月がきれい』を観るのはやめにした方がいいのかもしれない(観る)。